このあとめちゃくちゃ責任とりたい!!!!! - 1/2

インターホンすら鳴らさずドアから入ってきた人影は、手に提げたビニール袋をがさがさ鳴らし嬉しそうに笑う。

「ただいまハンチョー。ガリガリくん食おうぜ」
「俺はソーダ以外認めないから。おかえり」
「マジか。梨は正義だろ」

まあソーダもあるけど、とアイスバーを一松に放り投げながら残りを冷凍庫にぶちこむ男はカラ松という。自称マフィアだ。
この暑いのに無謀にも黒いスーツを着込み、革靴を履く大馬鹿野郎。どう考えても一松の裸足にサンダルが正義だろう。洒落者ぶるくせに、こんな六畳一間のぼろアパートに喜んで通ってくるあんぽんたん。デザイナーズマンション、とかそんな腹の足しにもならない横文字が大好きなくせに。
しゃくり、とうす黄色いシャーベットを噛み砕く白い歯がのぞく。冷たさからか赤くなった舌がべろりと上唇をなぞり、もういちど。しゃくり。しゃく。しゃくしゃくしゃくり。

「……穴があきそうだ」

楽しそうにアイスバーの棒を舐めあげ、くつくつと笑う。あまりにテンプレな誘い方におかしくなって、一松もついつられてしまう。

「ねえ、俺まだ食べ終わってないんだけど」
「そうか。ん」

かぱりと大きく口を開く動作はあどけないのに、ちろりとのぞく舌の動きは淫靡だからたまらない。同じくがばっと開いた口で噛みつくようにふさいでやれば、不満気に肩を殴られる。

「アイスを、手伝う。ちゅーはしない」
「はいはいアイスアイス」

大きめに噛み砕いたシャーベットを溶けない間に流し込んでやれば、とたんに大人しく背中に手を回す。欲望に忠実すぎてめまいがしそう。
振ればカラカラ音がするだろう小さな脳みそしか詰まっていない頭に、それなりに上等な顔。きれいについた筋肉とどんな体位でもこなせそうな柔軟な身体。切羽詰まってすがる時に一番甘ったるく響く声。一松が知っている人間の中で最も考えなしで頭カラッポのクソ野郎が、つまりは目の前のこいつで、だからそういう男で。

「……今夜は泊まるの?」
「お仕事だな! 一人でいい子に寝られるかいbellina(かわいこちゃん)」

ぱちんとウインクを決めて出ていく馬鹿は、また一松の知らぬ誰かを誑かし適当な寝床を確保するのだろう。残された甘ったるい匂いにうんざりしながら、それでも一松は口を開いた。

「いってらっしゃい」

ここに帰っておいでよ。
どこの誰と寝ててもいいからさ。

「行ってきます」

能天気ににこにこ笑うカラ松は本当に頭が悪い。男に股開いて生きることしかできないくらいに。

 

◆◆◆

 

そもそもしょっぱなから馬鹿馬鹿しい出会いだった。
努めている工場からの帰りに猫をかまっていた一松が、鳩にたかられているカラ松の傍を通ったのだ。一松の抱いていた猫が本能に従い鳩の集団に飛び込み、残されたのは茫然としている男とそれを呆れて見ていた男。
通常ならば関わりあいになるはずないのに、キミのペットのおかげだと大仰に喜ぶ男が礼をしたいと付きまとい始め。どう好意的に見ても気持ち悪い人だ、と一松が逃げれば逃げるほど相手は笑って追いかけてくる。七日連続で家の前で待たれた時に諦めた。その前日に大家から、借金があるなら早く返した方がいいようちは厄介事厳禁だよ、と釘をさされていたせいでもある。このアパートを追い出されれば行く宛のない一松は、とにかく波風たてずどこかへ行ってもらおうと不審人物を家に入れ。

童貞を喰われた。

そもそも一松はゲイではない。バイですらない。彼女はできたことがないし風俗は個人的な性志向のため未経験であったが、オカズは常にやわらかなおっぱいとむっちりした尻の女の子だ。ケモ耳なんかあるとすごくいい。あと処女膜。ここすごく大事。試験に出ます。
それなのにどうして男の、しかも七日も家の前でうろつく不審人物といたしてしまったかというと、まあ勃ってしまったからだ。男の身体はどうしようもない。
部屋に入れたといえ、一松としては靴をぬがせるつもりはなかった。玄関前で口論しては大家からの印象がまた悪くなるな、と身を隠すだけのつもりで。礼だと言うならつきまとうな迷惑だ、とはっきり伝えてすぐさま出て行ってもらう予定だったのだ。初対面から鳩にたかられていたマヌケなら、少し強く言えばどうにでもなるだろうと思っていた。
思っていた、のに。

「本当にうれしかったんだ。親切なGiapponese、キミは俺を助けてもなにひとつ得をしないだろうに。礼もいらないなんて無償の愛すぎる。この感謝を伝えるために、ええとサンコノレイ? をしようと思って」
「サンコノレイ? え、三顧の礼?? 三回訪れて礼をつくして、ってやつ???」
「Giapponeの感謝の伝え方だろ? 詳しいヤツに教えてもらったんだ!」
「それ目上から目下へのだし、あんた七回来てるし、そもそも日本のじゃないんだけど。それからかわれてるよね絶対」

あまりに男が馬鹿だったので、ほだされてついそこ座りなよなんて口走ってしまい。とんちんかんな事を口走る男に思わずつっこめばひどく嬉しそうに笑うのでつい話を振ってしまい。そうするとどんどん親近感なんて湧いてきて、明日は休みだと買ってきたビールとつまみを出す頃にはすっかり意気投合して。
押し倒されて下半身を剥かれ上にまたがられてから首をかしげたのは、危機察知能力が鈍っていたなという自覚はある。けれどまさか、さきほどまでうぇいうぇい上機嫌で笑っていた同性が立ちあがったからといって、押し倒してくるなんて思わないだろう。

「初めて会った日に訊いただろ? 何かしたいことはないのかって」
「ああ、礼はいらないって言った時だっけ」
「そう。金品じゃないなら、と思ったんだが風呂に入りたいと言ったじゃないか」
「だったっけ? まあ風呂はいいよね。高いからめったに行けないけど」

昨今の値上がりのため薄給の一松には高嶺の花と化してしまった銭湯をぼんやり思い浮かべ肯定すると、我が意を得たりとばかりに笑顔を向けられる。あんたも好きなのか、風呂。いいよな特に一番風呂。まだ少し肌寒い洗い場に少し熱めの湯船。値段もだが勤務時間の弊害もあって最近さっぱり行けてないが、銭湯の素晴らしさを分かち合えたのだと酒に浮かされた頭で一松はふわふわと喜んだ。なぜこの時こうも銭湯推しであったのかは定かではない。別に実家は銭湯じゃない。

「お勧めがあったんだが家の近所がいいと言っただろ。この辺は俺のテリトリー外だから残念ながらいいところがわからなくてな、代わりにデリを勧めれば嫌だと言うし」
「あ~」

風呂は湯冷めしないように近所がいいし、宅配は高い割に融通がきかないからいらないと言った気がするようなしないような。正直、変な人だからさっさとどこかへ行ってほしい、と考えていたことしか覚えていない。なんせ鳩にたかられていたのだ。

「だから俺が来たんだ」

ベルトをはずしながら朗らかに言い放たれた言葉が理解できない。

「初めてでも大丈夫だからな!」

確かに一松は初めてであったが一体何が大丈夫だというのか。
黒いスーツのズボンからするりするりと抜けだす白い脚。腰の上にまたがったまま、下着まで器用に脱いでみせたカラ松は無造作に一松の下肢に手をつっこんだ。あ、勃ちそう。じゃねーよなんで勃っちゃうよおかしい息子よそりゃ初めての他人の手だけどそれ男。嵐のようにつっこみが吹き荒れる一松の内心を余所に、カチリとしたスーツを下半身だけ脱ぎ捨てた男はひどく嬉しそうに笑った。

「あ、いけそうだな」

せめていやらしさの欠片でもあればよかったのに、ひどくあどけなかったからいけない。
一松はけしてロリコンではないけれども。もちろんショタでもなく、ペドとかふざけんな性犯罪者消えろと思っているし借りるAVとてちょっと妹モノとか童顔っぽいのが多めだけれど、けれども。大変に不本意ながら、性的に奔放で熟れ熟れなお姉さんや未亡人NTRモノより初めてだよオニイチャン優しくしてね、的な方が好みであるので。これは性癖であり一松本人の意思ではどうにもできないと理解したうえで進んでほしいのだけれど。
飾らずに言えば一松は処女厨であった。
ノリノリで男を押し倒し下半身だけ脱いで上に乗っかってくる男、というホラー以外の何物でもない状況にありながらも、カラ松の表情がどうにも処女厨心をぐいぐい押してくるのでろくな抵抗をする気が起きなかった。しかも勃った。ヒュウ、とか口笛吹かれて萎えるところだろうにアホみたいに笑っているカラ松を見て、たぶん呆れ勃起とかそういう、あるかどうか知らないけれどまあそういった感じでうっかり萎えすらしなかった。
ので見事に童貞喪失に成功してしまったのです。なんということでしょう。
きつい締めつけや荒い息、堪えてももれる声にたまに「きもちいいか?」なんて問いかけられて。彼女いない歴が年齢で一身上の都合のため風俗も未経験な一松に、どうやって耐えろというのか。酷すぎるだろう。ちなみにゴムはさくっとつけられた。お口で、とかじゃなく普通に手でしゅしゅっと。その際すいっと髪の毛を耳にかけた動作に一松の愚息が妙に元気になってしまったのはあれだ。イメージビデオ的な。男でも女でも関係なく、そういう動作が性的であったというそれだけのことだから。ほんとマジでマジでそういうことで。

「親切なGiapponese、キミが俺でイッてくれてよかったよ」

あ、なに。つまりそういうこと? あんたそういう方面の方でしたか。なるほど。なにあんたあんなあどけない慣れてない感じだったのに演技とかすごいな。確かにそういうの、好きな男多いもんね俺とかねはーなるほどなるほどなるほど。
死ねよクソ。
気楽に逆レイプかました男がビジネスライクに身なりを整え鼻歌まじりにドアから出ていった時点で、一松はきちんと理解した。つまりコレは、あの男なりの『礼』なのだと。
常は商品として売っている自分の身体を無料で一松に与えた。それを一松が望んだかと問われれば否としか答えないというのに、未だ剥かれたままの下半身の爽快さがすべてを裏切った。

 

◆◆◆

 

まさかの二回目はまたも男の玄関待機からだった。
あ、今日は早いんだな帰り。などと明るく迎えられて一松は言葉を失った。なんでいる、とかこないだのどういうつもり、とかその傷どうしたの、とか。迷って、ドアを開いて指さしてしまった。室内を。

「ん」
「あ、いいのか?」
「そのつもりで待ってたんじゃないの」

左頬を真っ赤に腫らした男は言葉だけ遠慮して見せながら、へらりと笑って部屋に入り込む。ちょっと油断したんだよな、と聞いてもいない言い訳を口にしながら勧めてもいないのに万年床に座り込み、ズボンを脱ぎ出す。

「っ、ちょっとあんたなに」
「そのつもりで待ってたんだ」

な? と笑う顔はあっけらかんとしていてまさかこの男が半裸だとはとうてい思えない。紺のボクサーパンツもあっさり放り投げ、黒い靴下に手をかけて一松をちらりと仰ぎ見る。

「ソックスは脱がせたいタイプか?」

脱がせたいのは女子高生のルーズソックスか紺のハイソックスで、そのままでいてくれてもいいのももちろん女子高生か女子大生かOLか、まあとにかく女なのだと声を大にして言いたい。叫びたい。のに。
ごくり。
一松ののどは持ち主を裏切ってただ唾液を飲み込んだ。

どうしてか口内にはひどく唾液が溜まっていて、のどが渇いて、だから飲み込むのは理にかなっているのだけれど。音が。妙に室内に響くから布団の上に座り込んだ下半身丸出しの男に聞こえてしまうのではないかと少し不安になる。
この間からおかしい。一松の身体は持ち主の精神を裏切ってばかりいる。
そもそもこんなあやしい男、ひと眠りしたら忘れてしまうはずだった。押し倒されて喰われたけれど、男だからノーカンにしておいたのに。自分で愚息を慰める時だって、いつもよりきつめに握ってみたりしなかった。してないったらしてない。乗られた重みとか、かみ殺すような声とか、のみ込まれる温かさと痛いくらいの締めつけなんてそんな、欠片でも思い出すようなシチュエーションでなんて絶対しないようにしたのに。
忘れもしないで、言いたいことも飲み込んで、男相手に勃つわけないだろって笑い飛ばせなくて。

「もしかしてストッキング破りたい方だったか? 気持ちはわかるが残念ながらサイズがなくてなぁ」

確かにそれも捨てがたいですね、とか。サイズあったらやってくれるんですか、とか。違うそれは口にしない方。混乱するな松野一松!

「いや、ちが、あの」
「ん?」

落ち着いた低い声で優しげに、そのくせ首をかしげる仕草はどうにも幼い。あぐらをかく動作はどう見ても男のもので、青いてろっとしたシャツに隠された股間には一松と同じモノがついてると知っているのにどうしてか視線がそこへ行く。男のモノなんて見たいわけない。自分のもので充分。そう、見たいわけないのに。
きっと隠されているから気になるんだ。チラリズムというやつだ、と結論づけた頃には男は勝手に一服し終えていた。

「あの、ですね」
「敬語じゃなくていいぞ。なんせキミは恩人だ」
「ああうん。じゃなくて、さっきの違うから」
「ストッキングか?」
「いやそういうのから離れて。玄関で言ったでしょ、そのつもりで待ってたって。こういうつもりじゃなくて、部屋に」

入るんでしょって意味で。
けしてあんたとセックスしたいってことじゃない、と伝えたかった一松の言葉をまるっと飲み込んだ男は、そのままの距離で困ったように笑った。濡れた唇が動くたび、触れて、くちりとかすかな音がする。

「そのつもりで待ってたんだ。俺が」

頬に触れられた指先は硬い。細められた目じりにぎゅっとしわが寄って、鼻先を擦り寄せられて、ちろりと唇の端を舐められる。猫みたいだ。勝手に近寄ってきてこっちのことなんて知らんふりして、そのくせかまわれないと不満そうにする。
そのつもり、なんていいながらいかがわしい空気のひとつも作らず子供をあやすように笑うなんて卑怯だ。

まあわかりきっているだろう結論から述べるなら、一松は今回もおいしくいただかれた。
寝っ転がったままの一松に背中を向けてゆっくり飲み込む男の中はやっぱりきつくて熱くて我慢できなかったし、きもちい? なんて舌足らずに訊かれてしまえば肯くことしかできない。
ふは、と息を吐き出してぜんぶはいったぜぇと笑う男の逸らす背中をちゃんと見たいな、とか。上半身も肌と肌をぴたりとあわせればもっと気持ちいいんじゃないかな、とか。こっちが腰動かすのはダメなのかな、とか。学習能力というか知的好奇心というか、まあそういった前向きな姿勢でつい。
つい男のポケットからごついジッポを拝借したのは一松の自発的行動だ。

 

◆◆◆

 

一松は自身を正しくクズでゴミだと認識しているし、クズらしくさほど運に恵まれた人生でもない。が、ここ一番はなかなかよかったと過去を思い出していた。高校受験をインフルエンザでしくじったけれどもなんとか今の職場にひっかかったとか、底辺のブラック工場だけれど案外性にあっていて終身名誉班長なんてものになっていたりとか。
つまりは賭けに勝った。

「ここに落としてたのか、よかった」

すでに部屋に上がるのも三回目ともなると、男は遠慮なく万年床に座り込み一松のだした麦茶を飲んだ。小さな机の他はゴミや服が放り出してあるから仕方ないといえ、男の部屋で布団の上に座るってどうよ。まあどちらも男で、しかもそういったことはすでに二回もしているのだけれど。

「使い捨てのライターでも煙草の味は変わんないでしょ」
「まあそうだけど、気分が違うだろ。クールだし」
「いやごついしドクロだし十字架だよ? いっちいちオイルつめなきゃだよ」

趣味が悪いジッポでつけた煙草を美味しそうにふかす男は、そこがいいんだと機嫌よく笑う。今日はまだズボンを脱がない。

「手がかかる方が愛着がわくし、自分のものだって気がするだろ。そういうのが好きなんだ」
「理解できない……面倒なのとか最悪じゃん」

機能さえきちんとしていればなんでもいい一松には理解できない考え方を、ロマンだと一言でまとめてまた男は笑う。こんなにしょっちゅう笑う成人男性を見たことがないので、興味深くて目が離せない。

「そういえばその腕の、漢字だろ。なんて書いてあるんだ? イカシてるな!」
「班長、だけど」

制服の腕章に刺繍されている文字は飾っても崩れてもいない、小学生でも読めるだろう漢字だ。うすうす感じてはいたが、やはり目の前の男は相当な馬鹿だった。妙に横文字を交えてくるのも頭が悪そうな雰囲気がぷんぷんする。

「ハンチョー! へえ、あんたハンチョーさんか」
「別に単に呼び名ってだけで、だからえらいとかそういうのはないし」

一応管理職扱いなのだが、所詮ブラック工場内での話で一松が底辺のゴミだということに変わりはない。それなのに、なんだかやけに嬉しげに男が連呼するから柄になく照れてしまう。慣れていないのだ、こういうことに。

「あ、あんたは」

何してる人、と問いかけそうになってつい口ごもる。一松は別に偏見はない。こちらだって底辺ブラック工場社畜だ。どちらが上だ下だなんて言う気もない。でもこいつはどうだろう。あまりにあっけらかんとしているから考えていなかったけれど、男相手に身売りしてると胸を張るタイプだろうか。
少なくともこれまで、職の話は聞いたことがなかった。

「俺はカラ松。そう呼んでくれ」
「え、あ、うん」

さらりと名乗られて意気込みがぺしゃんとつぶれた。呼び名。呼び名ね、うん、そういう流れに。なるほど。
別にあえて告げてほしかったわけでもないので逸れた話題はそのままにした。確かに、会った人間皆に職業をふれまわる必要はない。カラ松が何をして生計を立てていようと、いつも妙に甘ったるい匂いをさせていようと、お礼として身体でご奉仕をしてしまうような男であろうと、一松にはなんら関わりあいなどないのだ。
ないのだ。
今日はカラ松のジッポがうっかり一松の部屋にあったから来ただけで、見つかったから次はもうないし。前回みたいに、『そのつもり』にまたなってくれれば次があるかもしれないけれど、でもその前に今が。まだズボン脱いでないし。
いや、なんだそれ。
脳内が妙な方向に暴走しかけていたので、一松はぶるりと頭を振って修正をかける。

「えーと……俺これからメシ食うとこだったんだけど、食べる?」
「ハンチョーさん作れるのか!? すごいな!」

本気の尊敬のまなざしはいっそ暴力だった。近所の弁当屋かコンビニ、もしくは宅配でもとろうと思っていたなんて言えるはずもない。冷蔵庫の中身を必死に思い出そうとする一松に、いわれのない暴力をふるってきたカラ松はひどい追撃をかけた。

「誰かがつくったメシなんて久々だなぁ」

きりりとした眉をへにゃりと下げた顔はそれはもう情けなくて、どうしようもなく一松の心臓をきゅっとひねった。なんとかできたての温かいメシをこの口にねじこんでやらなくてはいけないと、使命感まで湧いてくる。
最終的に「次は豚汁作ってやるよ」「ショージン料理か!?」という馬鹿丸出しの次の約束をとりつけた後、カラ松はズボンを脱いだ。前回と違ったのは、一松が膝立ちで自主的に腰を動かしたということくらいだ。
ちなみに靴下は一松が脱がせた。白だった。

 

◆◆◆

 

四回目からは覚えていない。
妙に和食をありがたがるカラ松にドヤ顔をするため、一松の料理スキルがどんどん上がっていったとか。それに伴いカラ松との行為もいろいろあれやこれやとレベルが高くなって、いや言いすぎた。スキルはさほど上がっていないしレベルはどうかわからない。けれどもどちらもレパートリーが増えたのは事実で、現に先程までべたべたちゅっちゅといろいろ致していたわけだ。

「カラ松、今日、なに食う?」
「んん~……あ゛~、まだあんま、考えつかない、な」

とぎれとぎれに言葉がきれる時は相当よかったらしいので、一松はこっそり心の中でガッツポーズを決める。童貞をぺろりといただかれて以来、毎回カラ松に翻弄されてばかりなので最近しかえしができて、正直大変に嬉しい。

終わった後抱きしめて眠りたいと言って困惑されたのはいつだったか、それなりに初期だった気がする。慣れてるだろうに戸惑いがちに舐められたのはそれより後だったか、初心ぶる方が評判がいいんだろうなと理解しつつ複雑な気持ちになったから覚えている。
職業病なんだろう、未だに下半身しか脱がず、一松からの愛撫より自分が奉仕することばかりのカラ松。相手を気持ちよくするばかりで自分に気持ちいいことが返ってくると考えもしていない大馬鹿。
あんまりにもカラ松が馬鹿なので、一松は興味本位であのからっぽの頭にいろいろ詰め込むことにした。
部屋に来たら「おかえり」、帰ろうとしたら「いってらっしゃい」。できたての温かい食事に、奉仕されるセックスに、セックス中以外のキス。キスは嫌だと言われたから、これはちゅーであってキスとは違うと言いきってみたり。さすがに無理かと思っていれば、そうかじゃあいいぞと返されて一松の方が驚いた。お手軽すぎるだろう。ちなみにちゅーもしないと言われたら、適当に食べ物を口うつししてやればもう流される。食べ物が少しでも関わっていればセクシャルじゃないなんてカラ松の脳内の分類が簡単すぎる。そのくせ口の中が空になれば寂しいと一松の舌を噛んでくるのだからひどい。

そうしてコツコツ詰め込んでやれば、からっぽの頭も少しは重くなったようで、カラ松は楽しげに「ただいま」と一松の部屋に遊びに来て「いってきます」とどこかへ帰るようになった。狭くて汚い六畳一間への滞在時間は増え、セックス中にジャケットまでは脱ぐようになり、だけどまだ甘ったるい匂いを身にまとっている。
襟足に鼻をつっこむと感じるひどく甘い匂い。安いラブホのシャンプーだ。一松の元へ来るためにどこかの誰かの気配を消してくるのはエチケットだけれど、消したとあからさまにわかるのもどうだろう。汗臭いの嫌だろ、なんて終わればすぐにシャワーを浴びたがるカラ松の体臭の方がずっといい。雨の降る前の空気に似ている、少し水っぽい匂い。俺はハンチョーのちょっと埃っぽい機械油の匂いが好きだぜ、と誤魔化されたのはムカついた。結局その後も甘ったるい匂いは消えやしない。

「おお、なんてこった……そんなにキミを哀しませる男とは別れた方がいいぜsignorina」

あいかわらず黒いスーツをきっちり着込んでいるくせに髪の毛からは水滴をしたたらせ、カラ松は小さな画面に向かって真剣に囁いている。夏場に馬鹿だな、と思いながらつっこみもせずタオルを投げつけてやる自分も大馬鹿だと一松は自覚しつつ、隣に座る。

「あんたこんなの好きなの。昔のドラマとか」
「よくわからんがおもしろいぞ。このsignorinaの恋を応援している」
「さっき別れた方がいいって言ってたじゃん」

土曜の昼間に再放送のドラマをだらだら見る、なんて生産性のない行動。それでも先程までのもっと生産性のない行為よりはマシかと一松は隣にちらりと視線を向けた。そろそろ何を食べたいか決まっただろうか。

「……なあハンチョー、なんでさっきからあのsignorinaはキズモノって言われてるんだ。怪我なんてしてないだろ?」
「ほんと言葉知らないよねあんた。傷物ってのはアレだよ、処女じゃないってこと。さっき恋人とヤってたから」

旧家の娘が道ならぬ恋に落ち運命に翻弄され、ってふた昔ほど前に作られたからかそういう層を狙ってるのかずいぶんベタだ。恋人と無理やり別れさせられ勝手にきめられた許嫁にふしだらだと罵られるとか、うん、まあ気持ちはわからないでもない。

「恋人と愛の営みをしたのにどうして怒られてるんだ? そりゃバージンロードを歩くには少し後ろめたいかもしれないが、最近じゃ珍しいことでもないだろう?」
「これ昔のだし、つーかほんとにちゃんと見てんの? 親の決めた相手と恋人が違う男でしょ、だから許嫁からしたらあの女は傷物なの。で恋人はさ、腰引けて逃げてるから女に責任取ってって言われてるの」
「しかしイーナズケはsignorinaを愛しているんだろう? じゃあチャンスじゃないか。責めてる場合じゃないだろう!」
「……好きだから、許せないんでしょ。あの女と最初にセックスしたかったんだよ」
「なるほど、signorinaの初めての愛の誓いを奪った責任、ということか」

賢しら気に肯いているが、ビンゴォ~とウインクを決めてきた時点でまるで賢そうではないとカラ松はいつ気づくだろう。そして傷物だ責任だともめているのはけして女の愛がどうこうではない。単に面子の問題だろう。許嫁を軽く見ていたら裏切られた男も、恋人に裏切られそうになって迫る女も、すべてが恐ろしくなって逃げる男も。

ドラマを好んで見るのは言葉を覚えられるからと言ったカラ松の、過去を一松は知らない。普通に生きてきたら知っているだろう知識がぽこぽこ抜けているのは、身体を売って生きているのは、どれほどひどい怪我をしていてもけして病院に行かないのは。なにしてる人なの、と一度だけ訊いた際、マフィアだと突拍子もない誤魔化しをされて以来問いかけすらしていない。マフィアて。ここは日本なんだからせめてヤのつく業種にしておけばいいものを、マフィアておまえ。
一松はクズでゴミな社会の底辺の自覚がある。中卒の工場勤務で、終身名誉班長なんて呼び名だけ飾り立てられているけれど要はあの職場以外で働けやしない。銭湯すらめったに行けない薄給で、ぼろくて古いアパートと工場を往復してたまに猫に構う人生だ。五年後も十年後も、工場がつぶれない限りはきっとそうして暮らしているだろう。
だけど面子はある。
どれほど卑屈に自分を低く見積もっても、クズだゴミだと自称しても、吹けば飛ぶような自尊心だけれどあるのだ。確かに。
そしてそのクソの役にも立たないけれど捨てきれないこびりついたプライドのせいで、口にすることができない。言ってやればいいのに、言えない。ただ一言、ここに住めばと言えればきっとカラ松は喜ぶだろう。
だけど。
もう宿の確保のために客をとらなくていい、おまえに出来る仕事をここでゆっくり探せば。そう伝えてきょとんと首を傾げられてしまったらどうすれば。一松はありありと想像できる。男と寝て金をもらってるのは事実だけど、嫌じゃないぞ、と笑うカラ松を。得意なんだ、天職だと思ってる、俺はなかなか上手いだろ。さらりと言い放たれて否定できる事実は一松にはない。なんせこの男は名も知らぬ男にまたがってきて、ノンケの一松を見事に落とした猛者だ。そして性質の悪いことに、ビジネスライクに徹してくれればいいものを愛なんて感じるセックスをかましてくれる。そりゃ人気だろう。なんせ一松とて放したくなど。

「っあ゛ー、ちくしょう」
「!? どうしたハンチョー」
「別に」

だけど。だから。
一松は真っ白い雪に足跡をつけるのが好きだし人の入っていない一番風呂も好きだし初めてなのちょっと怖いけど優しくしてねって言われてゆっくりキスから始めたいのだ。このドラマの婚約者の気持ちがわかる。ものすごく。できるなら一緒に、ちゃんと同じ気持ちで、とかそういう。こっちの気持ちにそっちが追い付くまでちゃんと待つんで、こっちのことそういう風に見てくれる予定があるならちゃんと待てますんで、ええだって婚約者だし結婚するしね、ってことですよねわかりますわかります。今は違う男に気ひかれてるけどこっち選んでくれたらいいんですよでもそういうことは全部こちらといたしていただきたいんですよだってそういう約束ですよね婚約って、そういうの込みですよね、あっちは気の迷いですよね、裏切りとかないですよね信じてますよ信じてたんですよなんであっちとそういうことしちゃったんですかおかしいでしょこっちが先約ですよねこちらとしてはそのつもりで、ってことですよねわかりますわかりますわかります。

この年齢で馬鹿みたいに夢見がちだしまあ無理だって理解しているから口にしたこともないしそもそもそういうのは学生時代にリア充がんばってたヤツらの特権だって思うけど、でも、理想をもつのは迷惑かけるわけでもなしいいよねとかこっそりひっそり。一松にだって理想はある。ずっと。

取り出す気もなくて心の奥底にしまいこんでいた気持ち悪い感情がぐるぐると胸の中でうごめく。
ただいまとかいってきますとか。セックスしないのにするキスとか。食事のリクエストとか、ぼんやり隣同士でテレビを眺めるとか、とか、とかとか。カラ松は一松以外としたことがあるだろうか。からっぽの頭にあれこれ詰め込んでやるのは一松が初めてだろうか。
そうだといい。そのつもりで一松はいろいろ詰め込んだ。一番ほしいものから目を逸らして、だけど諦めきれなくて悪あがきを。

「……さっきさ、あのドラマのさ、女の……初めてヤったのの、責任の話。してた、でしょ」

本当に馬鹿だ。女々しい。こんな悪あがき。
だけど隣でのんきにテレビを見ている男だってどうしようもない馬鹿だし頭からっぽだし、しょっぱな男にまたがってくるわ抱かれるつもりで部屋の前で待ち伏せするわの救えないクソだから。

「ん? ああ、キズモノにしたくせに、って言ってたやつか」

理想なんてクソだ。夢だ。そんなもん捨てちまえ。
一松はもうこの甘ったる匂いをカラ松からかぎたくなどないのだ。

「うんそれ。あの、だからその、というかですね、俺の童貞を」

ぺろりしたんだから責任とってください、と続くはずだった言葉はカラ松の台詞にすっ飛ばされた。

「じゃあ俺はハンチョーにキズモノにされちゃったなー」

ハハハ、と軽やかに笑うカラ松の言葉が物理を伴って一松を殴りつける。え、なに、どういうこと? あなた職業男娼ですよね?? 先程の会話で傷物になるにはまず処女じゃないといけないってちゃんと理解できてますよね???

「あ゛!?」
「ハンチョー顔怖いぞ? どうした、腹でも痛いのか」
「顔なんてどーでもいいんだよ! ちょ、あんた今なんつった!!?」

カラ松が全力で引いているがそんなことどうでもいい。これは一松の人生を左右する大事な質問だ。
だってカラ松が傷物って、一松のせいでそんなことになったということは、つまり。いやでもあんなにノリノリだったし自分から乗っかったし慣れて、慣れて……初心な感じが喜ばれるんだろうなとか思ったことがあったな!? フェラそんなに上手くねえないやAVが大袈裟なだけでこんなもんなのか、とか思った気もするな!?? いやいやそんな都合のいい、だいたいこいつの職業は。

「あんた俺が初めてだったの…!?」
「ああ。風呂もデリもいらない、一番が好きだって言ったろ? 初物が好きなら風俗は嫌なの納得したんだ。で、ダメ元でのっかったら勃ったし、じゃあ俺の初めてでいいかなと」

あっけらかんと告げられる内容に頭がついていかない。
風呂とかデリってあれですか。風俗でしたか。泡姫的なヤツとかご自宅に来ていただける噂のあれでしたか。宅配ピザとか平和なことを考えていた一松はあまりの常識の違いにめまいがした。
え、待って。じゃあこいつお礼で男に身体差し出したの。なんで二回目来たの。そのつもりで、って言ったじゃん。俺一回でホモ堕ちさせられるほどテクニシャンじゃない、つーか寝っ転がってただけで動いたのこいつなんですけど!!?!?

「お礼、のつもりで……?」
「ああ」
「じゃ、じゃあその後、来たのは」

胸が苦しい。
ぎゅうと握りしめたこぶしが汗で気持ち悪い。
だって面子が。クズでゴミの一松のそれでも捨てきれないクソみたいなプライドが。捨ててしまってもいいかもしれない。
童貞で、対人関係もクソで、猫としか交流してなくて、恋人いない歴が人生の一松だけど。でも。カラ松とするセックスはなんだか温かくて繰り返しひっつきたくてなんなら全身ぎゅうぎゅうに抱きしめて撫でてやりたいのだ。男の身体だけど、舐めたりさすったり噛んだりつまんだりいろいろしたいしさせてもらってる。
つまりこう、認めたくないというか一方通行はつらいしないわ~って目を逸らしてたけど、要は愛っぽいものを感じてしまうのだ。これはお仕事で培ったカラ松のテクだと思い込んでいたけれど、男とするのが一松が初めてならもしかしてそういった仕事はしていなかったのかもしれなくて。じゃあつまり。
勘違いじゃないなら。思い込みじゃない、なら。

「……だってハンチョー、優しいから」

目元を赤く染めてちょっと唇とがらせて気まずげに視線をそらすとか、なにそれかわいい死ぬ。一松の死因は確定したけれどダメまだ死ねない。だって。

 

 

このあとめちゃくちゃ責任とりたい!!!!!