落第生 - 1/2

向いてないことは知っている。
これまでしたこともない強引な行動、慣れぬ誘い文句。
それでも、今日は。今日だけは許されると思った。浮かれていた。たぶんこいつも同じ気持ちで、千空と同様にこの日を指折り数えて待っていてくれて。
ゲンの硬い指先をきゅっと握りしめてみる。こっそり。
大丈夫。皆大騒ぎしてこちらのことなど気にしちゃいない。

「……そろそろ抜け出そうぜ、二人で」
「なんで?」

きょとんとこちらを見返すゲンの表情には、熱も色っぽい含みもなにもなかった。

 

◆◆◆

 

十六歳の時に出会ったマジシャンの技術に唆られ、彼のマジックを見に行っていたはずがいつの間にかマジシャン本人にも興味を持ち、恋人という関係に持ち込めたのは十七歳になってからだった。
年上だから、未成年相手はと渋るゲンに、名目だけでもいいとねじ込んだ過去の己を千空は褒めたい。よくやった。すぐに意見を変える信用ならないコウモリだ、とうそぶくわりに義理堅く一度した約束は守る男だ。恋人という存在がたとえ名目だけであれ居れば、他に目をやったりはしないはず。
そもそもつきあう気がないならさっさと振ればいい。そうしない時点でゲンの気持ちだってわかりきっている。

俺がたぶらかしちゃったよね、と頭を抱える程度にはゲンとて千空を気に入っていたし、それなりに好意を出していた。だから名目などと言いつつも双方好意があることは事実で、つまり恋人なのは間違いない。
ただ、性的接触を一切していないだけで。

つきあう条件としてゲンが出してきたのは、大人になるまでそういうことは我慢しようね、だ。ツヤツヤした唇で小首をかしげて千空をのぞきこみ、結構長いけどできる? などとまるでこちらに協力的でない態度で問うてきた男は、千空が頷けば満足げににんまり笑った。
なるほど、これはテストだ。第一回は合格。こんな簡単な問題に引っかかるようでは恋人関係継続などちゃんちゃらおかしいということなのだろう。確かにゲンの職業上、高校生とつきあっているなどとバレては致命的だ。たとえなにもしていないと言っても信じてなどもらえないだろう。

その後もテストはちょくちょく出された。その度千空は合格した。
おそらくゲンは、千空から少しでも我慢できないという気配を感じれば即手を引くつもりだ。千空の事を好きだからこそ、何年も待たせるような相手ではなく他の好きになった子を、などとふざけたことを言う。
性欲がないのでは、などと言われることもあるが千空とて年頃の男。惚れた相手が手の届くところにいて何も感じないわけではない。禁じられているからこそちょっとした行動や接触に胸ときめかせたし、脳内のゲンには大変お世話になっている。
だがそれはそれ、自分の欲のためゲンが不利な立場に立つようなことはあってはならない。千空が一方的に襲ったとしても、ゲンはそう言わないだろうし責は彼一人にかかる。大人になれば、と期限は区切られている。
我慢することが二人を守り、同時にゲンへの愛の証明になるのならばしない選択肢はない。定期的にゲンが仕掛けてくるテストにだって合格し続け、大人になった暁には全問正解の優等生として彼の隣で笑ってやるのだ。

 

十七歳で恋人になってから、お互いの家で過ごす時は手をつなぐようになった。隣同士座る距離が縮み、相手の膝にもたれかかったり髪を暇つぶしに編んだりとじゃれることが増えた。暇があれば会って、電話をして。友人としては近すぎる距離。けれど誰にも見られない二人きりの時間だけだから大丈夫。

 

千空の十八歳の誕生日、ゲンは前日から遊びに来ていた。珍しく仕事がオフになったからと、十八歳になる瞬間をお祝いしようなんてかわいらしいことを言って。
ケーキを食べ、プレゼントを渡され、その間ずっと手をつないでいた。隙間などないくらいひっついて、今にも唇がひっつきそうな距離でおめでとうと笑うゲンは終始楽しそうでキラキラしていた。つないだ手をそのままに、腕で囲い込んだゲンは温かく頬は柔らかでいい匂いがした。離したくない。もっと近くに居たい。お互いの服さえも邪魔、だなんて。
裸で抱き合ってしまえば我慢などできるわけがないとわかっていたので、必死で身を離した千空をゲンが探るような目で見ていた。テストは合格した、はずだ。欲情していたのはバレていただろうが、ゲンは見ないふりをしてくれた。

 

高校を卒業した後、ゲンの誕生日を夜通し共に過ごす許可が初めて出た。昨年は新学期の準備をしなよなどと子ども扱いされ、昼間に会っただけだったのだ。
なんとか仕事を終わらせた、とはしゃぐゲンの家でラーメンとケーキを食べた。妙な取り合わせなのに、千空ちゃんの手作り! と大喜びするゲンはとんでもなくかわいかった。チャーシューと煮卵を試作しまくった甲斐があった。大樹にまでそろそろ勘弁してくれと言われた時にはどうしようかと思ったが、終わり良ければ総て良しだ。
千空の誕生日の時を覚えているのだろう。少し距離を保ったままのゲンは、しないの? と呟いた。たぶん、キスくらいなら大目に見てくれるつもりだったのだろう。今日は特別、そう繰り返し口にしていたのも千空に伝えるためで。
けれどできなかった。
知らなければ待てる。だがキスをしてしまえば、一度タガが外れてしまえば抑えなどきかない。千空の脳内にだけ存在するゲンが一片でも形をとってしまえば、我慢などできるわけがないのだ。
しない、と答えた千空にそっかとゲンは返した。テストには合格したんだろう、おそらく。どれほど欲情しても行動に移さなければセーフのはずだ。

 

十九歳の誕生日、三日は仕事がでどうしてもダメだけど四日は休み取ったから皆でパーティーしようよ、とゲンが友人達を集めてくれた。二人きりでは我慢などできない千空を察してくれたのだろう、ありがたい。
千空とて自覚していた。ゲンを見る己の眼差しの不本意な熱、欲しい欲しいと隠しきれない欲。ハグやキスくらいなら、とガス抜きのつもりでゲンが提案してくれているのを理解していても手を伸ばせない。そんなもので終わるわけがないのだ。抱きしめてしまえば腕の中に閉じ込めたい。キスをすればそのまま離さず全身を唇でたどりたい。おそらくそれはガス抜きの範疇ではないし、セックスに至ってしまう。
まだダメだ。大人になるまで、と約束したのだ。ゲンの不利になることなど絶対にしたくない。

 

ゲンの誕生日、当日は会えなかった。日の変わる瞬間ラインは送ったけれど、すぐ既読にならないことは事前に伝えられていたから問題ない。出会った十九歳の頃から冠番組を持っていたゲンは近頃ますます忙しく働いていたから、なかなか会えないことは当たり前で。それでもできうる限りの時間をつくってくれていた。知っているから、千空は待てる。理解している。
外で会う機会が減った。複数人で会うことが増え、お互いの家にはめったに訪れず、イベントは皆でわいわい集まって。
千空が我慢できないから。二人きりだと、触れずとも表情で雰囲気で態度で、全身でゲンを求めてしまうから。秘密にするには、隠しておくには、こうするしかない。仕方ない。大人になるまで待っているのは千空だけではない。

 

待望の二十歳の誕生日。
四日に皆でまた集まろうね、と告げられたのでゲンとは三日の夜から共に過ごせるのだろうと期待した。予定を問えば仕事だったので少し落胆したけれど、日が変わると同時にラインが来たので一気に気分が上がる。たかだかおめでとうの文字だけで一喜一憂するなんて、恋愛脳とはなんと恐ろしいのだろう。千空自身にもどうしようもないなんて、わけがわからなさすぎて手の施しようがない。
おそらく昨年集まったから、今年もと誰かが言い出したのだろう。本職であるゲンのマジックが披露され、龍水が会場を押さえフランソワの料理が出たりとなかなか派手だったから、新年会を兼ねたイベントだと思われたのかもしれない。
それなら抜け出しても問題ないだろう。前回とて最後は千空などそっちのけで騒いでいたのだ、誕生日祝いだからと遠慮する必要もない。
たぶんきっとゲンもそのつもりで。四日の、千空の誕生日の夜は二人で。大人になった、その日なのだから。

そして冒頭に至る。

 

◆◆◆

 

なんで。
なんでっつったのかこいつは。今。
理由。誕生日を恋人と過ごしたいっつー以外になんか必要か。しかも二十歳。大人になったら、の約束。
この期に及んで焦らす、ってわけでもない。怖気づいてるのも違う。あまりに予想外のことを言われた、のめったにお目にかかれないゲンのきょとん顔だ。貴重な機会をここで使うな。もっと堪能できるときにしろ。っつーか。

「……二十歳になったから、って即がっつかれると思ってなかったかもしれねえが、こちとら延々指折り数えて待ってたんだわ。明日早いのかよ」
「え、や、仕事は午後からだけど。あ~……せっかくだし一回くらいは男も経験しとこうみたいな?」
「あ゛!? ざっけんな一回で済むとか、……いや明日仕事なら無理はしたくねえのか。まあ、なるべく善処するっつーか俺も初めてなんで弾数がどんなもんかわからねえっつーか」
「いやいやいやダメじゃん。初めては興味本位じゃなくちゃんと好きな子とすべきだと思うよ、ジーマーで」
「おう、だから抜けようっつってんだろ」
「ん?」

他人の感情に敏く空気を読むのが得意なゲンと、こうもかみ合わないのは初めてで千空は眉をひそめた。なんだこれ。

「えー、と」
「大人になるまでそういうことは我慢しようね、ってテメーが言ったんだろ。それともあれか。社会人にならねえと大人だと認めねえっつーやつか」
「大人? いや別に社会人だからって思ったことはないけど」
「学生相手で心配してくれんのはおありがてえが、騒ぎになっても問題ねえ。百夜もアメリカにいやがるし、なんなら一緒に数年あっち行こうぜ。マジックの本場でやるのもいいだろ。俺もあっちに編入すりゃいいことだし」
「待って、なんか話が大きくなってきた」
「金はこれまで貯めたのもあるし稼ぐ方法もあるから心配いらねえ。そういやあっちなら籍も一緒にできるじゃねえか、ちょうどいいな」
「ちょ! 千空ちゃん!!」

ぎゅっと手首をつかまれゲンに引っ張られる。千空だけを映した目が視界一杯に広がった。近い。キラキラしている。このまま顔を近づければいいんだろうか。これはゲンからのキスしてアピールってことか。他の奴らもいるのに。いや別にいい。恋人ってことが一目でわかっていいじゃねえか、上等だ。言葉ばかり並べるより態度で示せってことだな、ククク任せやがれ。

「俺たち別れたよね? もう恋人じゃなかったよね??」

触れさせようと尖らせた唇がぴたりと止まる。

「……あ゛ぁ゛!?」
「だって大人になったのになにもしないから」
「今からしてえって話だが!?」
「十八じゃなくて高校卒業してからなのかな、って思ったけどそれも違ったし」
「待てそこか!? そこで大人カウントしてよかったのか!?」
「キスどころかハグもしないしおうちデートの時もちょっともいちゃいちゃしないし離れて座るし、これはもう恋人やめたいんだなって」
「テメーのことエロい目で見て盛ってどうしようもねえのわかってっからあえて離れてくれてたんじゃ」

タイム、と一歩下がったゲンを追うように一歩前に出る。
手首を離されそうになって、慌てて手を握りしめた。手汗ですべる。大丈夫、ゲンの手のひらも熱い。長い前髪で表情を隠そうとして、千空が名を呼んだからかそのまま顔を上げた。こめかみに髪の毛がはりついている。
かわいい。千空を睨みつけるのも声がいつもよりずっと低いのも、全部。

「ゲン、好きだ」
「……ずっと言わなかったでしょ、今更そんなこと」
「テメーがそんな顔すると我慢できなくなるだろ」
「どんな顔よ。……見えないし」

わっと歓声が聞こえた。目の端に陽が一気飲みをしているのが引っ掛かる。勝負だと叫んでいるからきっと皆見ている。壁際にいるこちらのことなど気にも留めていない。

「俺は毎回、がっつかず大人になるまで待てるかテストされてると思ってた。その我慢が全部台無しになっちまう顔」

そっとあわせた額は熱い。鼻先をひっつければくすぐったそうに肩をすくめられた。唇が触れる直前ゲンが口を開く。

「確かにテストしてたかも。……俺に欲情できるのかな、セックスする気あるのかなって」
「有り余るわ」
「余っちゃうんだ」

全部落第してたくせに。
ふきだしたゲンの声が弾んでいたから、千空は唇をふさいでいいか迷った。だってこの声はもっと聴きたい。
千空が迷ったのがわかったのか、ゲンはもう一度笑ってすいと顔を離した。ああチクショウ、今のはキスするところだったのか。もう一度あの体勢に持ち込むにはどうしたらいい。でもご機嫌に笑っている顔も見ていたい。全部同時になぜできない。

「まあテストはいいじゃん。本番で合格すればいいんでしょ、こういうのって」
「……本番いつだよ」
「ん~……ここまできたらバージンロード本当に未経験で歩いちゃうのもありかも?」
「無理だ。待てねえから神様だまくらかして本番は処女の顔してくれ、マジシャン」
「秒で拒否ってくるじゃん!」

本心をつい零せば心底おもしろそうに笑われた。いや、だって今日って。今日のつもりで。それなりに我慢強い方だと自負していたが、こんなにおかわいらしい存在を目の前にまだ待てはさすがに無茶ではないのか。

「神様騙しちゃうの心痛むな~」
「科学の世界に神は不在だから気にすんな」
「じゃあ誰に誓うの?」

愛も未来もなにもかも。

「テメーだろ」

それより当然のように結婚する将来の話をしているがゲンは構わないのだろうか。いつもの楽しい言葉遊びのつもりかもしれないが、千空としては今晩二人で過ごす時に伝えるつもりだったので想定通りの流れだが。
いや一応もっとロマンチックなセリフを考えたりはしていた。眠るゲンの指にひそかに指輪をはめておき、翌朝目覚め驚くところにとかあれこれ。まさか別れたと思われていたなど想像もしていなかったので。

「……もうちっとマシなプロポーズ次にするから、今のは予約ってことにしといてくれ」
「聞かなかったことに、じゃないのそういうのは」
「名目だけでいいから約束は取りつけときてえ」

口にしてから、恋人になった時と同じことを言ってると思い出して千空は苦い顔になった。ちっとも成長していない。ゲンのことに関しては、いくつになってもまるで余裕がないしいつだっていっぱいいっぱいだ。
いつになったら彼にふさわしい、隣に立つしっかりした大人になれるのか。年齢だけでなく。

「あー、ちくしょう。なってねえな、もうちっと一生ものにするつもりだった。落第生だから大目に見てもう一回チャンスくれ、ゲン先生」

左手の薬指に予約として唇を寄せれば、ひどいしかめ面をしたゲンがあーあとため息をついた。
あーあ。ほんと勘弁してよ、あーあ。

「残念。今、なにもかも全部合格しちゃいましたね」
千空ちゃん俺のことに関してほんと優等生。しかめ面のままゲンが顔を寄せてきたので、今度こそ千空は愛おしい熱を感じることができた。

 

 

騒ぎすぎたせいか抜け出せはしたがこっそりといかなかったため、からかい混じりの祝福をたらふく受けたゲンは真っ赤な頬のまま「千空ちゃんやっぱり落第」と唇を尖らせていた。