我らに永久を - 1/3

「なん、で」

その問いかけに返る答はただひとつだと理解しているだろうに、それでも口を開かずにいられなかった御堂筋が愛おしい。
いつ言おうか考えていた。ずっと。プライバシーにかかわることだから外では御堂筋が嫌がるかもしれない。二人きりで、落ち着いて話せる自室がいいだろうか。御堂筋とつきあい始めてから、いやつきあう前から、タイミングを見計らっていたのだ。

「石垣、くん」

ぱくり、と空気が足りないかのように御堂筋は音を飲み込んだ。
誤解しないでほしい。わかってほしい。アルファだからじゃない。御堂筋がアルファだから、好きだと言ったわけじゃない。
言えなかったのは、軽蔑されたくなかったからだ。自分がアルファであるという一点のみで周囲の見る目がある日突然変わったと、ぽつりとこぼした御堂筋の幼い声を聞いたからだ。違うと。石垣は違うんだと。どう告げれば信じてもらえるかわからなかったから。

おまえがアルファやから好きになったんちゃう。おまえがおまえやから。御堂筋翔やから。

石垣には真実で、不変で、唯一の。目の前でまばたきを繰り返す彼への、愛ゆえに。今ならそれを理解してくれるだろうと思ったからこそ、告げようと。
なあだっておまえがアルファで、俺がオメガで。こんなの運命でしかありえない。

「……石垣くん、は」

ぱちり。ぱちりぱちりぱちぱち、ぱちり。
どうしてだろう。御堂筋がまばたきを繰り返すたび、するりするりと抜け落ちていく。熱が。
二人はこれから生涯を共にしようと誓い合う予定なのに。

「オメガやったんか」

机の上に置かれた薬。石垣に処方された、発情を抑えるための抑制剤。オメガのためだけの薬は、けれど必要な知識としてアルファの御堂筋とて知っている。
石垣がオメガなのだと、それが現実なのだとすべてが。

「……そぉか」
「み、どうすじ」

変わらない表情と落ち着いた声。穏やかに受けとめてもらえただろう告白なのに、どうしてこんなに不安になる。石垣がオメガだからといって、御堂筋は嫌悪したりしていない。彼が嫌っていたオメガだと知っても、石垣の部屋に留まっていてくれている。それなのに。

「あのっ、だますつもりとかそんなんちゃうくて! ベータや、てなんとなし思われてて……いや否定せんかったからだましてたようなもんやけど」
「そらしゃーないやろ。自分からオメガやなんや言うて歩く方がおかしいわ」

だました、なんて思わんよ。
いっそ優しいと言えるほどに穏やかな口調。労りさえ感じさせる声音。アルファの恋人にベータではなくオメガだと告げて、受け入れられて、じゃあハッピーエンドしかない。ありえない。
ありえないだろう。
アルファとベータの恋人同士。明るい未来ばかりの。石垣と御堂筋の。

「……ほな、別れよか」

それなのにどうしておまえは俺を手放そうとする。

 

 

 

少し目を細める仕草が好きだ。
鼻筋にしわができて、ほんの少しだけ黒目が寄ると途端に不機嫌そうに見える表情。本人にまるで自覚がない、そのくせ御堂筋をどこか近寄りがたい偏屈な男に見せてしまう、そんなちょっとした動き。
見つけるたびにうれしかった。他の誰も気づかない御堂筋の癖。表情。声の高低。
アシストだから、と信じていた。石垣は彼のアシストだから。御堂筋の認めたたった一人のアシストだから。彼を引いて走る事を望まれた、だから。そこまで世話を焼いてやる必要はない、という周囲の声は聞こえないふりをした。いや、実際に聞こえてなどいなかった。目の前の彼を見ることに夢中で、ついていくことばかりに必死で。

「なん、で」

御堂筋の機嫌を皆に伝えるのは石垣の役目だった。見ていればすぐにわかるだろうと呆れて笑えば、あの無表情のどこでわかるんだと嘆かれて。自転車に乗れる部活中に彼が不機嫌であることなど、めったになかったのに。

「なんで、御堂筋」

わからない。
今、なにひとつ。欠片も。

「なんで」

どうして。なんで。嘘や。なんで。嫌。嫌や。あかん。わからん。なんで。なんで。なんでなんでなんでなんでなんで。
御堂筋。

「別れる、なんて……言うん」

ベータではなくオメガだと、伝えていなかったことは気にしていないと言った。だましたなんて思わない、と。
ではなんだ。告白して受け入れられて、ゆっくりと距離を縮めてきた今日までになにがあった。石垣が抱えていたたった一つの隠し事は先程告げてしまった。嫌っているオメガだから、なんて理由にするには御堂筋の目に嫌悪がなさすぎる。
別れ話なんてするつもりじゃなかったはずだ。振る相手の誕生日ケーキを持参するなんて、御堂筋ができるわけがない。さっきまで。部屋に入るまで彼は恋人を祝うつもりでいたはずなのに。視線をうろつかせて、唇を歪ませて、そのくせご家族の皆さんで、なんて手土産まで差し出したくせに。

「……オメガやから。石垣くんがオメガで、ボクはオメガが嫌い。簡単な話やろ」

嘘だ、と口にするには御堂筋の言葉は正確すぎた。
御堂筋がオメガを避けている、というのは事実だったしそれが嫌いだからというのも校内では有名な話だった。アルファとオメガは番になるものだと学んでいた身からすれば意外であったし、だからこそ噂にもなっていた。学内唯一のアルファはオメガを選ぶ気がない、と。気の早い女子などは、将来のためと色めき立っていたことを知っている。その噂に最も傷ついていたのは石垣なのだから。

「おまえがオメガを嫌うんは、アルファやいうだけで寄ってこられるんがかなんのやろ」
「なぁに知った風な口きいとんの」
「オメガだけちゃう。ベータかてアルファかて、おまえの属性だけで望まれるんが嫌なだけやんか。そんなん当然や。俺かてかなん」
「えらい立派なこと言うてはるけど何様のつもりやろな、キミ」
「なぁ御堂筋、おまえわかっとるやろ。俺は、アルファやからやのぉておまえやから」
「石垣くぅん」

苛立ちを隠さない声音。他者を圧倒することに慣れた、従わせるためのその。
けれど語尾のかすかな震えを聞き逃さないから、石垣は御堂筋の視界に入れた。恋人、になった。

「オメガやなんや、どうでもええ。ボクは別れるて言うた。決めた。その理由を説明する義理なんかあらへんよ」

意地悪く細められた目。傲慢な口調。嘲りを隠さない声音。嫌味ったらしく歪む口。他人を馬鹿にすることを何よりの楽しみとしている、と言わんばかりの態度。道の上で誰より巧みに煽る京都の怪物が、石垣をどう傷つけてやろうかと手ぐすね引いている。

そんな、顔をして。
見くびらないでほしい。

「別れへんよ」

決めた、と言った。御堂筋は、今、口にした。この場で別れようと思ったのだ。さっきまで別れるつもりなどなかったのだ、やっぱり。

「俺がオメガやから、って理由なら絶対に別れん」
「はぁっ!? 勝手なこと言いなや。ボクがオメガ嫌いなんは知っとるやろ」
「ああ。だから俺かて言えんかったし」
「そんなら」
「けど、さっきおまえ理由説明する気ない、言うたやろ」

石垣がオメガだから、と最初に口にしたのは御堂筋からだったというのに。

「俺がオメガや、てこととはちゃう理由があるんやな。説明する気のない」
「っ、……詭弁や」

拙すぎる、常の御堂筋ならけして引っかからないだろう遣り口。言葉に詰まる御堂筋自身が彼の正当性を見失っているようで、石垣はひそかに胸を痛めた。追い詰めたいわけじゃない。傷つけたいわけでも。ただ。

「好きや。俺はおまえが好きなだけなんや、御堂筋」

 

夢を見た。
おまえのアシストで、恋人で、ずっと一緒に居て。
アルファとオメガならおかしくない。彼の子を産み育て、家族になれる。御堂筋が最も大切にするものに。
なれる。

 

欲張ったのがいけなかったのか。
部の先輩後輩で、アシストとエースで、恋人になって。その先を。未来を願ってしまったのが、欲深すぎたのか。

「おまえとずっと一緒におりたい。おまえの特別になりたい。俺は」

そのため、なら。
御堂筋をつなぎとめるために。

「……おまえの子を産んで、家族になりたいよ」

手段にした。だからか。目的のために、石垣の願いのために、御堂筋の傍に居るために。
御堂筋の子を産むことを手段にするこの薄汚さがおまえをそんなに怯えさせているんだろうか。
けれど石垣にはこれ以上わからなかった。両親との縁が薄かったために彼が家族に憧れを持っていることを知っていて、ましてや自分には彼の子が産める肉体がある。どうしてこれを使わないことがあるだろう。

だって欲しい。
なにをしてでも。欲しい。
ただ彼と共に在れるという証が。確かに御堂筋の未来に石垣が居るという約束が。

「い、やや」
「御堂筋」
「いやや。絶対、いやや」

本質的に真面目で誠実な御堂筋は、彼の子を産んだ石垣を絶対に見捨てない。どれほど他に心惹かれる相手が居ても、それが運命の番であっても、理性で石垣の傍に在り続ける。確実に、彼を縛りつけておける。

「なんで? 恋人になるくらいには俺のこと好きやろ。誰とつきおうても最終的には結婚やら子供の話になるで」

おまえがオメガを嫌っていると知って絶望した。自分ではどうしようもないことで嫌われるなんて、と。
男同士だというのに恋人になれてうれしかった。おまえが憧れている家族を作れない俺を選んでくれるほどに好かれていると思って。

「なあ御堂筋。俺はできるよ。おまえと番になって、おまえの子を産んで、おまえと家族になれる。全部、できるんやで」

おまえを丸ごと手に入れられる。その可能性があるというだけで、オメガの己を受け入れられた。

「おまえの望みを全部かなえてやれるのに、なんで俺と別れるん」

なんで泣きそうな顔してんの、なぁ。
ちゃうよ。笑ってほしくて。
おまえを幸せにしたいのに、なんで。
そのために、自分の欲なんてなかったことにして。

「せやし、や」
「御堂筋?」
「キミィがそんなやから、ボクは」