だからお願い諦めて

「石垣くんは子供おる?」

唐突な質問には慣れていたので、石垣は明るく笑って答えた。

「いや、結婚もまだやのにおらんよそんな」
「それはわからんやろ。できてから結婚、も最近少なないらしいし」
「おまえ案外俗っぽいこと言うなぁ御堂筋」
「……キミ、ボクのこといくつや思てる? もうええ年やで」

それは三歳年上の自分にさりげなく喧嘩を売っているのかな、と思いつつももちろん彼にそんな意図はないと石垣は知っているのでまた笑って流す。
自転車のことばかりで頭がいっぱいの目の前の後輩は、学生時代から変わらず今もやっぱりどこか浮世離れしている。
レースのために世界をまたにかけているのだからそういうものなのかもしれない。さすが世界に羽ばたく男は一味違う。

「ほな恋人は?」
「さっきから質問ばっかりやな。なんや取材受けとるみたいやない?」

照れるな、と頭をかけばいらだたしげに指先がテーブルを叩く。せわしない音に急かされながらおらんよと答れば、さっさと言えばええのにと悪態をつかれた。

 

◆◆◆

 

御堂筋が高校を卒業して以来、初めて受け取ったメールには日付と時間。
“都合が悪くないなら待ち合わせ場所はそっちが決めて”
久しぶり元気しとった最近どう、なんてそこまで彼に求めはしない。けれど名前くらいは名乗った方がいいんじゃないだろうか。これは社会人として大丈夫か。

どう考えてもイタズラメールに近いそれに、石垣が返信してしかもここに居るのはやっぱり相手が御堂筋だったからだ。
必要なことしかしなかった後輩が送ってきたメールは、つまりそういうことだ。石垣に会うことが必要、だったんだろう御堂筋に。だから石垣は、先輩としてきちんと対応したいと思う。

石垣からのメールに返信はなかったけれど、こうして向かいあわせに座っているんだからこれで正解だったんだろう。
わかりにくい甘えを解読できたことににやけていると、コーヒーを飲み干した御堂筋は顔をゆがませてキモとつぶやいた。口癖はあいかわらずだ。

「ほな石垣くぅんは、ええ年して独り身で子供ももちろんおらんで、恋人もナシなんか」
「そない繰り返さんでもええやろ」
「……好きな人は?」
「は?」

えらくかわいらしい質問に目をぱちくりさせていると、その顔はおらんな、と勝手に納得される。

「いやおらんけど、え? 俺そんなわかりやすい顔しとった?」
「めっちゃマヌケ面やったわ」

出るで、と立ち上がりながら言う御堂筋はえらく様になっていて、さすが日頃海外で生活しとる男は違うなと感じさせた。なんてことないチェーンのコーヒー屋で、一人だけパッとライトが当たったみたいに目立つ。長すぎる手足を持て余して不器用に動いていた学生時代とは違い、自分のできることをきちんとわかっとる大人の振舞い。

「……大きぃなったな、御堂筋」

思わず口をついてでた感想にイヤそうな顔を隠しもしないところは変わらない。

「キミはボクの親か」
「ほんま、今のそんな気持ちやったわ」
「キモ」

ふ、と口元が緩んで御堂筋の頬が上がる。
上がる?

「えっ」
「なに?」
「いや今、え、あれ、えええ、え?」
「とうとう頭が寿命迎えてもうたんか。寺、そこやけど予約しとく?」
「うち真言宗ちゃうしその前に病院連れてってくれ、やのうて。御堂筋、今なんで笑ったん」

他人を煽るためや馬鹿にするための大げさな笑顔はよく見てきた。口をぱかりと開いてそれはそれは楽しそうにひどいことを口にする、あれ。
けれど今のは。思わずこぼれた、といった笑顔は。

「そんな顔、できたんやなぁ」

弱みを見せることを極端に嫌って、硬い殻を必死にまとっていた子供。誰一人信じず翔びたってしまった彼に、世界は怖いところじゃないと教えてくれた人がいたんだろう。笑顔ひとつさえまともに見せなかった御堂筋が、なにげなく微笑むことができるようになったなんて。

「良かったなぁ」

本心から喜べば、御堂筋は困惑したように眉を寄せた。こんな表情も見せるようになったなんて、本当に良かった。

 

◆◆◆

 

ぴたり、と御堂筋が足を止める。
待っとり。一言だけ告げて入って行ったのは花屋で、石垣はひどく居心地の悪い思いをした。人待ち顔で立っているのも営業妨害かと店先の花を買う予定もないのに眺めていれば、御堂筋はのんきにラッピングまでしてもらっていた。

黄色ばかりの花と、黄色いリボン。黄色いラッピングペーパー。ちょっとセンス的にどうなんだろう、と思いつつ石垣は口にすることはしなかった。きっと黄色が好きな子にやるんだろう。それに、全体的に黒っぽい服装の御堂筋が黄色の塊を大切そうに持っているのは、なんだかほほえましかったから。
絵本かなにかの挿絵みたいや。
するすると人混みを抜けていく背中に笑みを堪えきれず肩を震わせていたら、座りや、と言葉少なに促された。拗ねてる。これはもう、確実に。

川沿いの遊歩道へ降りる途中の石段に座り込んだ御堂筋の横顔は、常通り不機嫌そうで。けれど石垣はわかる。一応これでも長いつきあいなんだから。ほら、だって花束のリボンを指先でくるくる回して。おまえのその癖、部の皆だけは知っとったよ。

「なににやにやしとんの。キミいつもなんでそんな浮かれとんのや」
「いつもちゃうで。楽しい時しか笑わんよ」
「へー。そんなら今、楽しいみたいやん」
「楽しいで。御堂筋とおんの、好きやし」

キモ、と聞き慣れた悪態が返ってくると思い込んでいたから、石垣の反応は少し遅れた。

「ボクもや」
「……ん?」
「ボクも、キミとおんのは……悪ぅない」

にやにやと人をからかう時の顔をしてくれていれば良かった。もしくはプロになってから覚えたと言っていた、営業用の笑顔。
それなのに御堂筋は、真顔で。
真っ黒な瞳で、まっすぐな視線で、ただ事実を告げるように淡々と口を開く。

「キミはあほみたいにお人好しで、思い込みは激しいし独善的やし頑固やし、ほんまどうしようもない男や」

けなされている、んだろうにどうして。
どうして御堂筋の目はこんなにぴかぴかと光って、楽しげな色を。

「どうしようもないから」

まるで、そう。

「しゃあないし、ボクが諦めることにした」

ぽすん、と黄色い花束が石垣の胸元に当たる。

「……みどう、すじ?」
「今の仕事続けたいならそのままでええ。ボクがオフなったらこっち戻るし。ついてくるならそんでもかまへん、キミ一人くらい養ったれる程度の稼ぎはある」
「は? え??」
「子供はほしかったら養子とったる。キミィの子は悪いけど諦め。そこまでボク心広くはおれん」
「ちょ、ま、……御堂筋?」

なんで。石垣が御堂筋に向けていたようなまなざしを、今、自分に向けて。

「責任とったるよ」

 

 

 

責任てなんの、だとか。そもそもおまえがなんで、だとか。言いたいことはそりゃもう山ほどあって、けれど石垣はどれも口にできなかった。
そんなことより。石垣の疑問なんかより、もっと大切なこと。

「あかんよ」

あんな言い方じゃ、まるで御堂筋の人生を石垣にあわせるみたいだ。世界に羽ばたく、羽ばたいてる男が冗談でもそんなことを口にしてはいけない。石垣はわかっているけれど、冗談だってちゃんとわかるけれど、うっかり本気にしてしまう人はたくさんいる。

「そういうことは、簡単に言うたら」
「難しかったらええん?」
「御堂筋」

茶化すな、と叱るつもりが同じくらい強い声に留められる。

「ええかげん自覚しいや、キミ」

とん、と石垣の胸をつく指先。白い。そういえば今日は珍しく手袋をしていなかった。
さっき黄色いリボンとたわむれていた、細い指先。御堂筋の。

「卒業して何年たった? 今日までにどんだけボクらは連絡とってた? ボクゥはキミのことなんかいっこも知らんよ。さっき聞いたこと以外、なにひとつ」

それくらい、連絡さえもとってへんやろ。子供に言い聞かすような御堂筋の声。
確かに、今回の誘いが初めてのメールだった。電話にいたっては卒業以来したこともない。

「いや、そら電話はしとらんけど……あ、顔! おまえの顔やったらテレビで見てたで。一方的やけど」

ごくたまに放送されるロードレースの中継は欠かさず見ていたから胸を張れば、御堂筋はまた口の端をゆがめた。

「……これで自覚してへんからほんま罪つくりやねぇ」
「せやし、なにを」
「今日、平日やよ。で、真昼間」
「おう」
「石垣くん、会社員やろ」
「ああ、気にせんでええって。有給とったし」
「どこの世界に十年以上連絡とっとらん後輩からのメールで有給までとってまうあほがおるん。しかも急に」
「せやかておまえが呼んだんやし。ほな、俺が行かんと」
「なんで」
「なんで?」
「普通、卒業以来連絡とっとらん相手からの急な会おうなんてな、ネズミ講か借金や」
「借金ならますます行ったらんとあかんやろ。おまえがそんなんしてまうなんてよっぽどやんか。したらそん時くらい手助けしたらんと」
「あー……ここまで手ごわいか」

そうか。言わんとあかんのかやっぱり。あーキモ。キモいほんま。
たてた膝に顔を伏せてぼそぼそと呟いていた御堂筋は、がばりと勢いよく石垣の方を向いた。

「キミの人生を振りまわしてもうた責任は、ボクがとる。条件はさっきゆーたので変わらん。これ以上は譲歩できん。わかったらさっさと肯き」

条件、とはさっきのよくわからない発言だろうか。養子がどうとかこうとかの。石垣の子がムリ、はこのままだとそうだろうと覚悟していたし別にかまわないけれど。

「え、さっきの、て、え? いや養子って御堂筋、おまえの子は」
「せ、や、か、ら」

再度、軽い音と共に花束が石垣の胸に当たる。ぽふぽふと叩かれるたび黄色が揺れた。

「石垣くんの人生、全部ボクに寄越せてゆーとんねん!」

キミなんか高校生の時から一途にボクだけ好きやろ。おかしいくらいボクしか見とらんのなんか知っとるから、もう諦めてさっさとボクのもんになり。

「キミ一人余分に抱えたかて大丈夫なくらい、ボクは速いねんから」

きっと御堂筋はなにを言ったかなんてわかっていない。
石垣は背中だけ見てきたのだ。御堂筋が背を向けている間だけ、見つめて。その感情に名前すらつけず。
それを知っていた、なんて。出会った頃からずっと、なんて。

「……そんなん、おまえ……俺のこと好きみたいやで」

あまりのことに今まで名前をつけなかった感情を口にすれば、御堂筋はひどくうれしそうに。

「せやし諦めぇて言うたやろ」

笑った。