一週間

まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。

朝起きぬけにトイレに入ろうとしたら、起床時間がかぶっていたチョロ松に先に入られた。にゃーちゃん関連でなにか出かけると言っていたので譲らねばならない。構ってちゃんなおそ松なら自分が先だと主張したりじゃんけんで勝負なんて絡んだりするだろうが、カラ松はそこまで兄弟に構ってもらおうとも思っていないしそもそも子供じみた絡み方は兄としてどうかな、とも思っているので。つまりはさっさと譲った。
前で待つのもなんだし特に今行きたくもない、と顔を洗っている間に今度はトド松が入った。別に朝どうしても行かなくてはいけないわけでもないし、と朝食を先に食べた。今日のみそ汁はねぎと豆腐で、ちょっと油断したカラ松は豆腐で舌を火傷した。
昼前にふと、そういえば今日はまだトイレに行っていなかったなと気づいたら急に行きたくなってしまった。そういうことってよくあるだろう。それまで気にも留めていなかったのに急にどうしようもなく気になってしまうこととか。あるある。少なくともカラ松はそういう経験がそれなりにあったし、つまりはトイレに行きたい。

「ん? なに、カラ松も出かけんの? もーすぐ昼だよ」
「いやトイレだ。……今日もしかして昼ないのか」
「さっき一松行ったからまだ空いてないんじゃね。って大当たり! 松代がさ、今日はお母さんお昼は休憩するからあんたたち好きになさいねって」
「俺は自分の分しか作らないからな」
「なんで!? いいじゃん一人分も二人分もかわんないって。お兄ちゃんカラ松くんの作ったチャーハン食べたいな~」
「自分で作れよ!」
「めんどーじゃんか」
「俺だって面倒だ」

それなりに頻繁にある『お昼作るの面倒だから今日はあんたたち自分で作りなさい』の日はなるべく皆外へ食べに行く。なぜなら家で長男につかまると大変に面倒だからだ。まさに今のように。
自分でもなんなりと作れるであろうおそ松は、兄弟に作ってくれるように絡むこと自体を楽しんでいるので正直大変に迷惑だ。作っても作らなくても絡まれるしそれが長い。これは今日のターゲットをカラ松に決めて松代の指示を黙っていたに違いない。普段ならとりあえず無視してトイレに行くところだが、ここでついピタリと動きを止めてしまったのもよくなかった。

トイレは行きたい。
でもまあまだそこまで切羽詰まっているわけじゃない。

すとんと腰を下ろしたカラ松になんの具がいいかおそ松が提案しだす。作る作らないと言い合っている間に一松はトイレから出るだろうし、居間で騒いでいる声で状況を察してコンビニにでも避難するだろう。一松が出かけたくらいを見計らってトイレに行けばいい。
そう考えてしまったのが悪かったのだろうか。弟を避けたい、なんて。だから神はカラ松にこんな試練を。
けれど今思いかえしても、やっぱりカラ松は一松と顔を合わせないようにしただろうと思う。なんせ昨夜、あっさりきっぱり振られた相手なのだから仕方がない。

 

◆◆◆

 

カラ松は一松が好きだった。弟としてではなく、いや弟としてももちろん愛しているけれどそれ以上に、恋愛の対象としての好意を持っていた。告げて受け入れてもらえると思ったわけじゃない。ただどうしても自分では諦められなかったから、迷惑をかけるけれど弟の手でばっさりいってほしくて昨夜告白したのだ。

「いや、俺おまえで勃たないからムリ」

予想通りさくっと断ってくれた一松は、別に兄弟としての縁を切るほどきもいとも思ってないから、と続けた。
どうだ。なんて優しく気のまわる男なんだカラ松の惚れた弟は。気持ち悪い近寄るなと言われるつもりでいたカラ松は心臓をぎゅうぎゅうに締めつけられながら、本当にうれしくてならなかった。だってこのままでいてくれる。ばっさり断ってまったく望みがないことを示してなおかつ兄弟のままでいてもいいだなんて。
あまりの一松の優しさとかっこよさにまだときめきが止まらない。せっかく振ってもらったというのに今顔をあわせてしまっては諦めるどころか惚れなおしてしまう。それでは兄から告白なんて重苦しくも面倒なものをされたのにきれいに振ってくれた一松にあわせる顔がない。いやあわせられないんだけれどそういう意味じゃなくて。ええとどういうことだ?
とにかく、まだ一松の顔を見るわけにはいかない。せめてカラ松の気持ちが落ち着くまで、今日一日くらいは離れておきたいところだ。兄弟がいる場なら意識を逸らしておくこともできるが、トイレ待ちなんてしたら狭い廊下で一対一だ。そんなのときめきが止まらない。

 

◆◆◆

 

だから仕方ない。
仕方ないのは理解した過去のカラ松よ。けれど今この状況のやばさもわかってくれるだろうか。
なんとなく己に問いかけてみるも現在のカラ松は腹に力を入れることで精一杯でうまい返しができなかった。

「じゅうしま~つ」

そっと呼びかけてみるも膝の上の頭はぴくりとも動かない。
結局おそ松に口で負けて二人分のチャーハンを作り終わる頃に十四松が帰ってきて、ひどく楽しげにいいなぁにいさんたちごはんいいなぁと騒ぐので三人分の皿にきれいに分けたのが一時間前だ。具が少ないだのもっとパラパラにするにはマヨネーズらしいだの意味なんてない話をして、お馬さんとデートしてくるとおそ松が出かけたのが三十分前。ずっと笑っていた十四松がぎゅうぎゅうと頭をカラ松の腹に押し付けたのが二十分前。
人よりも感受性の強い五番目の弟が許容量を超えた時、どうも兄弟の体温を恋しがるようだと理解したのは十代の時だったか。特に誰がいいというわけでもなかろうが、体温の高いカラ松はひっつきがいがあるらしい。それを嬉しいと思いこそすれ拒むことなどないのだが、絶対にないのだが。
今だけ、ほんの三分ほどだけ離れてもらうわけにはいかないだろうか。

トイレに行きたい。
とても、すごく。

腹に押しつけられる十四松の頭がカラ松の膀胱をどんどん追いつめる。あぐらをかいたカラ松に横から抱きつく姿勢のため、眠ってしまった十四松からそっと離れようにも身体の下になっている膝が抜けない。なんとか寝返りでもうってほしいのにぐるりと腹に回った腕は離されることもなく、呼びかけてもぴくりとも反応しない。
起こせばいい。そう、わかっている。ちょっとトイレに行ってくるからと起こせばいいのだ。
けれどいつもの十四松ではなく今は少しだけ疲れている十四松で。弱った羽を癒すためにカラ松という大樹の枝にとまった美しい小鳥をふるい落とすような真似はできるならばしたくない。
体温に触れて、少し休憩したらまた元気を取り戻すのだ。ひっつきむしになる時間はまちまちだけれど、これまで一時間を超えたことはなかったから余計にカラ松は十四松を起こせない。
あと少し。あとほんの少し我慢したら十四松は元気になって笑うかもしれない。ありがとにーさん、とはしゃげるようになってからトイレに走っても間に合うんじゃないか。ひっついてる最中に放り出してしまえばもしかしてこれから十四松はカラ松に甘えられなくなってしまうのではないか。
じわ、と太ももに汗が滲んだ。スキニージーンズのぴったりとした生地が湿ってこすれて気持ち悪い。
左の尻に体重をかけてみる。んん、と十四松がうなったのでカラ松はぴたりと動きを止めた。眠りが浅くなっているんだろうか。もう少しもう少し。すっきり目覚めればすぐさまトイレにかけこんだらいい。大丈夫。
手の平でぎゅっと股間を抑える。誰かに見られたら自慰まっしぐらに思われてしまうかもしれないが幸いにも居間にはカラ松と寝ている十四松しかいない。十四松の頭から腹をずらそうとゆっくり上半身を後ろに倒せば、下敷きにされていた右太もももずるりと出てくる。このまま身体をずらしていけば足も抜けるかもしれない。そうすれば十四松が起きるのを待たなくともトイレに行ける。
ゆっくり、ゆっくり右手を後ろにつく。尿意を抑えつけるように股間に置いた左手で水分ごとかかえるようにそろりと尻を後ろに引く。右足がだんだん姿を現してきて、このままいけるんじゃないかとカラ松がほっと息をついた時。

「にーさん、ありがと」

ぱちんと目を開いた十四松が満面の笑みで飛び込んできたのを抱きとめてやれた自分をただひたすら称えたい。誰が称えなくともカラ松だけはその偉業を語り継いでいく。

「復活復活! もー俺げんき!! すっげぇ元気だよ、野球する!?」
「いや、俺は……トイレ、に、行くから」

成人男性の突進を受けたカラ松の膀胱は限界を迎えていた。股間を押さえていた手がなければそのまま出てしまっていたかもしれない。十四松にぶつかられた手は偶然にも自身のジュニアを握りしめることとなり、あまりの痛みに尿意が引っ込んだから助かったにすぎない。軽率に動いてはいけない。ゆっくり、なるべく膀胱を揺らさないように、刺激しないように立ち上がらなければ。
じゃあ俺はランニングしてくるね、と嵐のように走り去った十四松が居間の障子を開けておいてくれて助かった。今はなるべく障害物が少ない方がいい。
立ち上がろうと腹に力が入ったとたん出そうになって、慌てて力を抜く。先程より尿意が、というかつまりはおしっこがジュニアに近づいている気がする。さほど保健体育の授業をまじめにうけていなかったカラ松は人体の仕組みに詳しいわけではない。というか正直よくわかっていない。わかっていないけれども、なんというか、これまでは腹の中に溜まっていた水分がちんちんの根元のあたりまで来ている気がするのだ。
腹に力を入れて留まるのは腹の中にある間だけで、ちんちんまできてしまっているのに腹に力を入れては気持ちよく出てきてしまう。はいお腹に力入れてね、しー、ってやつだ。力入れるのダメ絶対。
卓袱台に腕をつき、なるべく腹を意識せずに立ち上がる。歩く時も振動がないように腹に力が入らないようにと思うとすり足でしか歩けない。さっと走って行きたいのにじわじわとしかトイレに近づけない。つらい。
下腹部が熱い。ひじの内側からねちゃりと音がして汗をかいていることに気づいた。股間を抑えつけるから尿意も押しこめてくれていたスキニージーンズのきついしめつけが、足を出すごとに股間を刺激する。
ダメだ。
根元でとどまってくれているはずのおしっこがなんだか幹をつたってきている気がする。一気に放出できたらどれほど気持ちいいだろう。いや、それはトイレで。あと少し。もう廊下なんだから、あとちょっと。
女性より男性の方がちんちんの長さ分おしっこが我慢しやすいと聞いたことがあるけれどあれは本当だろうか。じゃあちん長の長い方がより我慢できるのか。そもそも我慢ってどうすればいいんだ。声をがまんするときは歯を食いしばるんだからおしっこしたい時もなにかを食いしばればいいのか。いやそもそも食いしばるのに歯以外があるのか。腹? 腹に力はちんちんまできちゃうとダメだ。それはさっき気づいた。じゃあちんちん本体に力を入れて尿道をぎゅっと閉めたらでないんじゃないか。そうだそれだ。尿道を閉めるんだ。閉門閉門~! 今日はもう夕暮だから誰も通れません!!!

「……ちんちんに力って、どう、やって入れるん、だ……?」

なぜか脳内にちんちん村の関所が浮かび、耐えきれずふはっとカラ松は噴き出した。温かいものがぎゅいっと流れる気配がしたので慌てて両手で押さえつける。
なんとか関所は破られなかったけれど、もう時間の問題だ。閉めることのできなかった尿道にはおしっこがどんどん流れ込んでいる。カラ松の脳内ちんちん村はおしっこモンスターに襲われて今にも滅びそう。なんかもう痛い。手で押さえているせいか尿意を我慢しすぎているせいかわからないけれど、ぴくぴくと震えるちんちんはこれ以上我慢させたら腐り落ちそうだ。
トイレだ。とにかくトイレに辿り着けばカラ松の勝ちだ。
じり、と足の動きによってジーンズが股間を微妙に刺激する。普段ならまったく気にならない、けれど今だけはどうしようもなく強烈な刺激。
本来ならしない、けれど。カラ松はなるべく視線を上に向けてジーンズのボタンを外した。おしっこもこの辺の空間にワープしてくれたらいいのに。腹の圧迫感がなくなるだけでだいぶ楽になった。
じり。じりり。
足を進めるたびチャックも下がっていく。本来なら廊下でなんて脱がない。わかっている、玄関を開けたら外から丸見えのこんな場所でズボンを脱ぐなんて、カラ松の美学に反するしそもそも恥ずかしい。パーフェクトファッションで決めている自分がいくら尿意と闘っているといえそのファッションを乱している。なってない。
けれどこれ以上腹を抑えつけていてはおしっこを留めることなどできなかったし、指先にだんだん力が入りにくくなってきていたからトイレでボタンをはずせるかわからなかったし、そう、トイレに入ったらすぐさまできるように脱ぎやすくしておこうと思って。
こんな廊下で。いつ玄関が開くか、誰が帰ってくるかもわからないのに。明るい光に照らされた昼間から。
カラ松はズボンをずらして股間を両手で押さえている。

嫌だ。なんだこの状況は。恥ずかしい。いかがわしい。誰かが来たらどうする。見られたら。言い訳。誰か。でもおしっこ。おしっこがまんしなきゃ。押さえて。ちんちんの先っぽから出るから、ダメだから、ちゃんと。ちゃんと押さえて。ダメ。誰かに見られて。誰に。おしっこが。まだ。トイレまでがまん。いやらしい。うそ。こんなこと考えるのが。違う。おしっこ。ダメ、でない。でる。見られて。違う。おしっこ。理由があるから。なんで。あとちょっと。トイレ。おしっこでる。大丈夫。いない。今は誰もいないから。おしっこ。ダメだ皆の使う廊下。パンツ濡れてる? うそ。うそだ。いや。違う。誰かに見られたら。
一松に見られたら。

がちゃんとトイレのドアが開いて出てきた一松の目が、見た事もないほどまるく見開かれた。
カラ松の下半身は冷たい。

 

 

あの時の絶望顔が忘れられないもう一度見せてほしいできたら僕の顔の上でもらして、とカラ松が愛の告白と共に性癖まで告白されるのは現在から一週間後のこと。