五個じゃ足りない

「おう千空、ホワイトデーのお返し買いに行くだろ? 次の日曜一緒に行こうぜ!」
「もらってねえから必要ねえし、日曜は予定がある」

今年のバレンタインは彼女ができたので受け取らない、と事前に宣言しておいたからいちいち断る手間が減ってよかった。ゲン様様だ、とのんびり考えていれば百夜が妙に静まりかえっている。
珍しいこともあるものだとラーメンから視線を上げれば、愕然とした顔で千空を見ていた。

「早く食わねえと伸びるぞ」
「千空! 大丈夫だ、人間中身だしおまえは最高にかわいい俺の自慢の息子のうえ顔もいいんだからモテないわけがない、から毎年チョコ山ほどもらってたよな……? ん? あれか、思春期で照れがでちゃったってやつか? 女の子の方が精神的に早く大人になるって言うもんな、本命の子には恥ずかしくてとかそういうのだ。な!?」
「今年はいらねえって言っておいたからもらってないだけだ」
「そうだよな! うちの千空がモテないわけないもんな!!」

大量にチョコレートをもらう息子、になにやら夢でもあるのか鼻息の荒い百夜は放っておく。
今はそんなことより考えなくてはいけないことがあるのだ。

「あ、ゲンちゃんからもなかったのか? 俺にもな、今年からは本命だけにすることにしたんだメンゴねってこないだわざわざ謝ってくれてな」

いきなり出てきたゲンの名前に跳ねる心臓を、必死で落ち着ける。
ゲンからはもらった。愛情いっぱい込めたやつ♡と言われたチョコレート。百夜の分を奪ったようなものなので、少々気まずくて言いづらいが。

「やっぱり高校生ともなると本命ができたりするんだなぁ。千空ももらえなくてさみしいだろ~。浅霧さん泣いてないといいけど」
「親父さんには家族枠で別に渡すって言ってたぞ」
「マジか! よかったよかった、バレンタインの後はいつもすげぇ機嫌いいからなぁ」

チョコあげないとパパ泣くから、と言っていたゲンを思い出し少々後ろめたくなる。
本来ならゲンの親父さんと百夜は、同じチョコレートをもらっていたはずである。ただなんというか、こう、つまり千空が本命になったのでなくなったのだ。
そこは俺だけじゃなく他にも渡してやれよ、と言えないので大変申し訳ない。
なんせ彼氏なので。彼女様からの愛情こもったチョコは独り占めしたい方なので。

ゲンとつきあうことになってから千空は、自分が想像していた以上に独占欲が強くワガママなのだと知った。
そのうちできるかもしれないが具体的に考えたこともない『彼女』相手なら、たまにデートなどするのだろう、手をつないで歩いたりするんだろうとぼんやり考えたことはある。さほど唆らないが、まあ一般的にそういうものだろう、もう少し成長すればしたくなるのかもしれない。
だが、ぼんやり想像していた『彼女』とゲンは、まるで違う。
物心ついた時から知っているゲンは、居るのが当然。千空の発言にケラケラ笑って、実験結果を語ればゴイスーと驚いて、寝食忘れてぶっ倒れれば叱って。あちらを見れば同じようにこちらを見てくれる。ここに居る。そういう存在だったのに。
いきなり彼氏とやらをつくって離れていこうとするから、性器まで見せて引き留めることになったのだ。
まあ減るものではないし、性器を見せたくらいでゲンがよその男と旅行に行かないならいくらでも見せるが。だが、あそこからなにがどうなっておつきあいを始めることになったのか、正直いまだに千空は理解できていない。

ずっと一緒に居るのだと問答無用で信じていたのに、そうではないと知って恋愛感情を自覚した己の事はいい。どうにも甘えているようで納得したくないが、理解はできる。
問題はゲンだ。
あいつが何をどう考えて千空とつきあうことにしたのか、さっぱりわからない。
そもそもいくら幼馴染といえ異性にちんちん見せてとねだるのはどうなのだ。本人的に、彼氏と旅行に行くならそういうこともあるだろうと勢いをつけたかったらしいが、それは他人のでは意味がないのでは? 彼氏の物を見ないと心の準備もままならないだろう。当然こちらとしては、どこぞのアレなどゲンの目に入れたくないので結果オーライであったわけだが。
というかあの日、ゲンへの執着と独占欲を認めた千空はともかく、あちらに好意が湧き上がるような何かがあっただろうか。
ない。
どれほど詳細に思い返しても、ない。
情けない姿を見せた記憶しかないので正直忘れてほしいのだが、そうするとつきあうことまでなかったことになりそうだから困る。
それなのにゲンは律儀に、週末毎に千空の実験につきあったり共に出かけたりしてくれる。たぶんデートだ。ぼんやり想像していたより百億倍唆る、楽しくてうれしくてずっと一緒に居たい、これがデートならそりゃあ皆したがるだろう行動。

先月のバレンタインデーに至っては、ゲンがキスしたチョコレートをあーんで食べさせるなんて、恋人でないなら絶対しないようなことまでして。
それで。
ゲンの態度は変わらない。,
相変わらず千空に構うし、楽しそうにしている。傍に居る。これまで通り、つきあう前のずっと一緒に居るものだと信じ込んでいた時と全く同じ状況で。
好かれているし、大切にされている。それを疑ったことはない。
けれど、おつきあいを始めて千空の行動も感情も変わったのに、ゲンは何も変わっていない気がするからわからない。
恋人っぽい事をそれなりにしていると思う。けれどゲンがそう思ってくれていないなら、意味がないのだ。
だって千空はもう知ってしまった。戻れない。

「あ゛~、百夜。その、相手が何考えてるのかわかんねぇ時、テメーならどうする」
「ん? 聞く以外でか?」
「聞いたらこっちの都合のいいこと言うだろ。そうじゃなくて本音っつーか、本心っつーか」

もしやこれは親子で恋バナってことになんのか? は? こっぱずかしすぎて死ぬが!??
羞恥で食卓から逃げ出しそうな千空を見て少し考えた百夜は、何に思い至ったのかにんまり笑ってレンゲを振り回した。
すげぇ腹立つからそのわかってるぞと言わんばかりの温いまなざしを向けるな。

「そりゃあまず自分の気持ちをつたえないとだな!」
「あ゛!? 相手のが知りてえんだが?」
「自分がどうしてほしいか、なんでそんなこと知りたいのか伝えてから相手に聞くんだよ。こっちが何も言わないで相手にだけ教えてくれっつーのはフェアじゃないだろ」

待っていてくれとは伝えた。他の男と旅行に行くなということも。
だが、どうしてかは言ってないかもしれない。千空の気持ちなどゲンは当然知っているだろう、そもそもこんなに一緒に居るのは好意があるからに決まっている、そう決めつけて言葉にすることなど考えもしなかった。
まず千空の気持ちを伝えて、それから。

「たまにはいいこと言うじゃねえか」
「亀の甲より年の劫、ってな。ちゃんと素直にゲンちゃんからのチョコほしかったって言えば、来年はまた弟枠でもらえるだろうからがんばれよ!」
「いや、ちげぇよ」

チョコはもらったし、将来的に家族枠になる予定だがけして弟枠ではない。

 

◆◆◆

 

千空の気持ちをすべて伝えた後、俺もそう思ってたよこれからはジーマーの恋人でいこうね! になれば問題はない。だが、思ってたのと違うかな~とゲンに振られたとしても、今後千空のすることに変わりはないのだ。
可視化されすでに認識した感情は消えない。なかったことにはならない。では、ゲンに好意を持ってもらうよう行動し、恋人になれるよう努力することしか千空にはできない。
そう決めれば気持ちはずいぶん楽になった。
得たい未来はただ一つ。そのためのロードマップを描き、行動すればいい。地道な作業は苦ではないし、することが決まっているなら一歩一歩積み重ねていくのは得意な方だ。

「ゲン、これホワイトデーな」
「マシュマロじゃん! あ、ラッピング千空ちゃんがしたでしょ。トランプ柄選んでくれたのうれしい」
「中身も俺が作った」
「ジーマーで!? え、売ってるのみたいだよ、ゴイスーじゃん!!」

ゲンが好きそうなの、と選んだラッピングに気づかれて胸がそわつく。丁寧にはがされるリボンやシールがうれしい。本心から喜んでいると指先の動きだけで伝えてくるなんて、とんでもない。
千空もきちんと、手作りアピールを忘れない。愛情こもってる、ってやつだぞ。はしゃいでおだててしてくれているが、ちゃんと伝わっているのか。

「あ゛~、これか。こういうのを言えってことか」

百夜に言われた言葉を改めて実感し、千空は覚悟を決めた。
まずこちらの気持ちを伝えて。どうしてほしいか、なぜ知りたいのか。それから。

「なになに、どしたの」
「ゲン、そのマシュマロ、すげぇ愛情込めてつくった」
「は!? え、うんありがと……いやどうしたの千空ちゃん。手作りは愛情が、ってやつそんなに覚えて活用してくれてるの」

ゲンは?
幼馴染でかわいい弟分だった千空を、どうして彼氏として扱うことにしたのか。本気で恋人になる気はあるのか。あの場のノリで、勢いで、つい口にしてしまったんじゃないのか。

「好きだ」

待っててくれるのはなんでだ。うれしいと笑ったのは。千空の成長を待つ間に気持ちは消えてしまわないか? 別の物に変化したりは?
ゲン。
全部知りたい。教えてほしい。

「真似になっちまうけど許してくれよ」

ゲンの手からマシュマロを取り、唇をよせる。
正しく千空の愛情がこもればいい。ゲンに食べられ、腹に溜まり、千空からの愛情でいっぱいになればいい。
今、二人の感情に差があってもかまわない。いくらでも渡す。千空と同じくらいゲンの中に愛情が溜まるまで、満ちるまで、こうして食べてくれたなら。

「ほら、口空けろ」

薄く開かれた唇をマシュマロでふにゃりと押し開く。素直に口内に受け入れられ、消えていくのがひどくうれしい。

「もうひとつ」

今度は己の唇をつけた側をゲンに押しつけてしまった。間接キスだ、と思いついたとたん頬が火照る。
マシュマロを押し込んだ後、そのまま唇に指を添えていれば、歯の動きが感じられた。咀嚼され、混ざり、飲み込まれる。ゲンの中に入り、溜まり、いつしか同じものになればいい。
軽く押せば、ふにゃりと形をかえる唇。こんなに弱い力で押しているのに。
ああこれがチョコに触れ、千空の口に入れられたのだ。やわい唇。
千空ちゃん。ほとんど音にならない名を呼ばれたけれど返事ができない。のどが詰まる。つい視線が固定されそうで力づくで逸らした。

「千空ちゃん、愛情込めてつくってくれたのに、もっとこめてくれるのゴイスーうれしいよ」

ゲンの唇にふれたままだった指を、そっと手で握りこまれた。
マシュマロはとっくに口の中に消えてしまっている。

「でもさ、途中で抜けてきちゃうと思う」
「途中で?」
「うん。千空ちゃんが込めて、俺の口に入るまでの間に」

お口で愛情込めるでしょ、指で運んでる間にシューって空気と一緒に抜けちゃう。マシュマロ柔らかいし。

「だから、ショートカットしたらいいんじゃないかな」

握られたままの指先が、きゅ、と促すように引かれた。

「俺、千空ちゃんが込めてくれた愛情、全部ほしいよ」

よくばりかな。笑うゲンは千空が否定することを知っている顔をしている。

「俺も、せっかくなら全部受け取ってもらいてぇな」
「だよね~」
「マシュマロが柔らかいから仕方ねえ、から」

唇をマシュマロに押しつけて、愛情が抜けてしまわないようにそのままゲンの唇に。
支えていた指を離しても落ちない。ゲンの唇がゆっくり開き、じわじわとマシュマロが入っていくのを感じた。

「甘いねぇ」
「……柔らかいことしかわからなかった」
「千空ちゃん唇荒れてる~」

クスクス笑いながら千空の唇を指さすゲンの、余裕そうな表情に腹が立つ。
こちらは常に動いているはずの脳が、石化でもしたかのように止まったんじゃないかレベルだというのに。

「もう一回したら、違うことがわかるかもしれねえ」

処理落ちしてろくに動いていない脳は、口から本能ダダ洩れの希望を吐き出した。ゲンの目がきゅうと細められ、明るい声が返る。

「じゃあ、しよっか」

知りたいことはたぶんなんとなくわかった。まるで千空らしくない、非論理的な、いわゆる勘というやつで。
ああ、もっとマシュマロをたくさん用意しておけばよかった。