エメラルドシティ儚く

彼は必ず笑って頷いてくれる。
似合いそうな靴をみつけて、つい買ってしまった時にふと。ああ、俺の贈った靴を履いた姿を見たいなと思って。そうしたら当然のように、一緒に生きよう、がひっついてきた。
初めて会った時に着ていたチャイナ服に似合うだろう、少し踵のあるきれいな銀の靴。
らしくないと茶化すだろうか。うれしいとはにかむかもしれない。プロポーズみたいだと言われたら、そのつもりだって伝えよう。きっと彼は喜んでくれる。
見なくたってわかる。なんせ彼の事を誰より理解しているのは俺なんだから。

 

◆◆◆

 

ある日全人類は石化し文明は滅びた、らしい。
偶然石化から復活した高校生が細々生き延びていた人類と協力し、石化を解く薬を発見。月に居た敵とやらを倒しめでたしめでたし。そして現在は復興の真っ最中、石化とは無関係の別の目的のため、科学者を優先的に復活させているとかなんとか。

俺を目覚めさせた男が感慨深そうに語っていたが、こんなもの話半分どころか十分の一でいいだろう。

確かに妙な光に包まれたのは覚えている。体が動かなくなったことも。だがそれだけだ。
次に意識したのは複数人の人影で、いきなり文明レベルの落ちた世界でおとぎ話のような設定を聞かされても。三千七百年後ってどうしてわかるんだ。数えていた? あの暗闇の中、延々と? 正直、これを素直に信じるのはよほどの馬鹿かもの知らずだろう。
初期に目覚め活躍したという人物が皆、現在権力側に居る辺りはなるほどねとしか言えない。
元々そういう仕事に就いていたならまだしも、高校生だの格闘家だの。異世界に行ったら最強でした、みたいな話流行ってたな。自室でノートに書いて友人間で回すなら微笑ましいが、大人を巻き込むもんじゃない。

何らかの理由で全世界が石化した、のは事実なんだろう。三千七百年経ったかどうかは怪しいが、数千年単位だろうことも想像がつく。現に建造物は大自然にのみこまれ、あちらこちらにリアルすぎる石像がある。だけどその後の救世主伝説みたいな話は眉唾でしかない。

そもそも別の目的ってなんだ。石化前に高校生だった子どもが、わざわざ科学者を集めて何をする?

気の毒だな、とは思う。褒められおだてられ、悪い大人にいいように使われてるんだろう。たった一人目覚め世界を救った少年、なんて旗印として完璧すぎる。守ってくれる親もなく、わけのわからないまま人類の救世主みたいな顔をしていなけりゃいけないなんて。同情するよ。するけれど、でも俺は泥船に一緒に乗ってはやれない。
それに甘い汁も吸っただろ? チヤホヤされ崇められ、なかなかいい生活だったはずだ。ちらりと見た姿を思い出す。特徴的な髪型だから遠目でもすぐわかる救世主は、金髪の美少女を侍らせて歩いていた。なんだっけ、原住民の村を科学力で制圧し巫女と結婚したとかしないとか。そういう夢見がちな中学生が書く小説みたいなこと、現実でやるのはどうかと思う。

まあ、気持ちはわからなくもないけれど。
でもそんな夢みたいなことは起こらないんだよ。普通、裏があるんだ。

 

◆◆◆

 

パスポートもなにもないから、国外逃亡は簡単だった。
いや、逃亡ってのは穏やかじゃない。悪事を働いたわけじゃないんだ。俺はちょっと長期の旅行に出ているだけ。行き先を誰にも告げず、救世主の求めに応じなかっただけ。

以前少し住んでいたから、という理由だけで選んだ国の居心地はさほど悪くない。
昔とはまるで違い、人はまだまだ少ない。あらゆる文明が滅びた世界じゃ人力がメインだ、成人男性というだけでありがたがられるのは助かる。このままあちこちを旅しながら暮らしていくのもいいかもしれない。そう考えていた頃に、彼と出会った。

「メンゴ、落っことしちゃった」

目の前に転がり落ちてきた靴と、頭上から振る明るい声。久々の日本語。
見上げれば、踊るように揺れる白と赤の房、飾り? 頭の半分だけ白い奇抜な髪型も緑色のふざけたサングラスも、その男には妙に似合っていた。俺を視認したとたん笑みを浮かべられ動揺する。なんだ、知り合いだったか?

石化前からの記憶を総ざらいするも、こんな珍奇な髪型の知人など存在しない。半分染める、にしても毛先だけとかだろ普通。右半分、なんて芸能人かなにかか?

窓枠から身を乗り出していた男は、呆然と見上げる俺の元に身軽に飛び降りた。
ひらりと舞う紫。羽ではなく服の裾だと気づいたのは、思わず口にした「羽だ」なんて感想を大笑いされたからだ。確かにコウモリの羽みたいだよね、とフォローされたんだっけ。

本当は、蝶々みたいだと思ったんだ。未だに伝えられていないけど。

だって仕方ないだろう。ここらでよく見るのは襟の詰まったチャイナシャツとゆったりしたズボンで、彼の着るような体にピタリと沿ったものはめったにない。
きれいな紫色を飾る金糸、細い腰を主張するだけの帯、ひらひら揺れる裾。薄暗い土色の世界に彼だけが色鮮やかで軽やかだ。蝶々だと思わない方がおかしい。

土埃まみれの道に裸足で立つ男は、そのまま座り込み初対面ということなどまるで気にせずペラペラと話した。まるで自宅の居間のように軽く隣を勧めてくるから、つい俺も腰を下ろしてしまう。
地べたに尻をつけることなんて、こんなわけのわからない世界になってもしたことなかったのに。
あまりにも屈託なく誘うから。俺が隣に座るだろうことを疑わない顔をするから。それはもう、前世じゃ友人か恋人だったんじゃないかという程に親し気に。

片方だけ伸ばし白く染めた変わった髪型、くるくる変わる表情、すっと耳に馴染む声。やっぱり見覚えがある気がする、名前は出てこないけれど。
名乗られた名前はテレビで見たことのあるうさんくさい芸能人と同じだったから、事務所の妨害なんかがあったのかもしれない。よく聞くじゃないか、人気の出そうなグループをテレビに出さないようにする力のある芸能事務所、とか。気の毒に。目の前の彼の方がずっと売れそうなのに、やはり芸能界なんてろくな所じゃない。義憤も込めてそう伝えれば、キミおもしろいねと微笑まれた。いや、当然のことだろう。ちょっと世間を知っていれば誰にでもわかることだ。まあ、わざわざそれを相手に伝えるかどうかは好感度にもよると思うけれど。

彼も日本語が懐かしかったんだろう、お互い離れがたいからかどんどん会話が続く。軽やかに踊るような言葉は耳に心地よく、いつまでも聞いていたい。彼の口を通されればたいした中身のない会話もとたん盛り上がる。なんだ、これは。初対面だぞ、俺たちは。それなのにこんなに楽しく会話が弾む。じゃあ、と彼が告げた時には喪失感に泣きそうになってしまったくらい。

今なら「また話したい」と言えばいいとわかっている。彼は拒まないと知っているから。けれどあの日はどうしていいかわからず、ただ立ち尽くしていた。彼に会いたい、もっと一緒に居たいとひたすら心の内で願いながら。
だから「またね」と聞こえた時には本当にうれしくて、ついはしゃいで手を振った。
らしくない行動の理由も、今なら知っている。

 

◆◆◆

 

彼との間に話題は尽きない。
石化前の事。どこで暮らしていたか、何をしていたか。家族。友人。恋人なんてできたことがない、と告げた時少し安心したように見えたのは、気のせいではないはず。
最近の事。石化から復活した時どうだったか。なぜこの国に来たか。したいことや探したい人が居るのか、なんて探るような事を言うから何もないよと笑って。

誘い合わすわけでもないのに、しょっちゅう顔をあわせた。
俺を見つけるたび輝く彼の顔。道の端に、岩の上に、草むらに、どこにでも気軽に座り俺を呼ぶそのやわらかな声。

わかるよ。だって俺も。俺も、同じ気持ちだから。

彼はことあるごとに、仕事で来てる、と口にする。俺に、いや自分自身にこそ言い聞かせるように、何度も。
日本に戻らないのか、科学者として働かなくともよいのか、何か目的があるのか。折にふれ問われる質問は、彼が日本の、救世主側からの使者だということを示している。

それなのに使者と名乗らない、戻れとも言わない。おそらく使者として俺に対応すれば、無理やり連れ帰ることになるからだろう。権力を使う事だけは達者だなんて救世主が聞いて呆れる。だからこそ彼は、俺の意志を尊重するために身分を隠しただの男として目の前に居るのだ。
俺を思いやって。
仕事だと自身に言い聞かせないと忘れてしまいそうなんだろう、俺と過ごす時間が楽しすぎて。わかる。俺もそうだ。キミと一緒に居られるなら日本に戻ってもいいかもしれないと考えてしまうくらい。それほどに。

本当はきっと、無理やりにでも連れ帰れと命じられているのだ。あちらに必要なのは俺の頭脳なんだから、意思の確認など不要。それなのに彼はこんなにも俺のことを考えてくれて。
心優しい彼に無理をさせるほど俺の力が必要なら、最初からもっと礼を尽くせばいいものを。そこら辺が社会人経験のない元高校生たちの限界なんだろうけれど。

 

 

彼の話にはしばしば初期復活者の名が出てくる。
救世主しかり、取り巻きしかり。親し気に名を呼び活躍を話す彼もおそらく初期復活者だろうに、どうして彼だけこんな貧乏くじを引かされている。他は日本で悠々自適だろうに。
俺が憤るたびお仕事だよと笑うけれど、そういう問題じゃないのだ。

適材適所だから。俺はこういうのが得意で。他の皆もそれぞれがんばってるから。
健気すぎる言動は彼を使う人間にとっては理想だろう。けれど俺は耐えられない。人の好い彼がこのまま使いつぶされる姿など見たくはないのだ。
あんな、ちょっと運がよかっただけの子どもが優遇され目の前の彼が不遇をかこつなど。
自分の実力でもないくせにきらきらしい場に立ち、うまくごまかしてハリボテに心酔している人間ばかりで周りを固める。少しでも批判すれば即非難されるんだ、あんなに息苦しい職場があるだろうか。たとえ泥船だと見透かしていなくても、俺はさっさと見捨てただろう。

ちょっと口は悪いけどいい子だよ。千空ちゃんはゴイスーで。知ればきっとわかるから。
彼が救世主をかばう度、どうしてと心が悲鳴を上げる。
こんなに理不尽な目に遭って、報われず、なのに穏やかな声には恨みの色の欠片もない。優しいにしても限度がある。それどころかまるで好意でも抱いているかのような声色で。

「俺なら!」

思わず手を伸ばしてしまった。
彼が救世主を思い出しているような気がして。俺がいるのに。目の前に、俺が。今ここに一緒に居るのは俺なのに。キミが心を砕くのは俺だけでいいのに。

見た目通りひやりと冷たく、なめらかな彼の手。想像していたより硬い指先と、短く整えられた爪。骨ばった手首も、しっとりすべらかな肌も、まるで俺の手に収まるようあつらえたみたいにピタリとはまる。

いきなり手首をつかむなんて驚かせてしまっただろうか。勢いのまま言葉を続けるか、謝るか迷った俺を見透かすように彼は淡く笑う。緑のグラスの奥、照れくさそうに伏せられたまつ毛が見えた。手の中からするりと抜け出した指先を追えば、なだめる様にトンと軽く甲に触れられた。

受け入れられている。
望まれている。
救世主じゃない。あんなただのラッキー野郎じゃない。俺が。俺だけが。

「俺なら、キミを助けられる! あんな奴らの元に戻る必要なんてない!!」

言った。言った。言ってやった。

不遇で不憫でかわいそうなキミを助けてやれるのは、わかってあげられるのは俺しかいない。
キミもそれを期待して俺の前に現れたんだろう? 靴なんて落として運命的な出会いを演出して、俺の気をひきたかったんだ。
親しい仲になれば日本に連れ帰れると思った? 大成功だよ。まんまと俺はキミに興味を持った。キミと共になら救世主たちに協力してもいいかとさえ考えた。

見透かされるとは思っていなかった? 気にやまないでくれ、そういうのには鋭い方なんだ。昔から。
だけど安心してほしい。キミが打算から俺に近づいたとしても、今の気持ちを、俺への愛を疑いはしない。
本当は、わざわざ出会いを演出しなくても、ただ目の前に現れるだけでよかった。俺たちならほんの少し話せばもう理解しあえるはずだ。今みたいに。こんなにもピタリとお互いのために在るような相手は他に居ない。

けれどいいよ。いい。気にしないでくれ。
救世主を担ぐ神輿は泥船だと気づきすぐさま対応するような男に協力を求めるなら、策を弄した方がいい。それが一般的で、俺たちがあまりにイレギュラーだった。

「もう一度言うね。俺はお仕事で来てるし、現状に不満なんてまったくないのよ?」
「ああ、そうだね」

わかってるよ。これまでの苦労はすべて俺たちが出会うため、そういうことだろう。
彼の前向きな考え方は好ましい。ただそれが周囲から侮られる一因なんじゃないだろうか。今後は俺が共に居るから問題ないけれど。
あんな場所より、救世主なんかの傍より、俺との方がずっと。ずっとずっとずっと。

「じゃあ最後に確認するね。日本に戻る気はない、石神千空博士の研究には協力しないってことでいいかな」

試し行為なんてしなくてもいいのに。安心してほしい。俺は絶対に戻らない。キミも逃げたいなら、なおさら。
ずっと一緒に居よう。この国でも他の地でもかまわない。あんな子どもを復興の御旗にしているような組織はどうせ潰れる。
童話かなにかにもあっただろう、立派なハリボテで驚かせても結局ダメになる話。ブレーメンの……あれは成功例か。じゃあなんだったかな。役に立たないろくでもない仲間と旅して、偉大なはずの魔法使いは何もできないちんけなオヤジの。

「博士に会って話を聞いてから決めても遅くないと思うけど」
「いや、遠目に見たからもう十分だよ」

確かに日本で救世主や取り巻きをチヤホヤしていれば生活に困ることはないだろう。なんせ研究に必要だと、協力してほしいと石化から目覚めさせられたのだ。俺の力が必要な事はわかりきっている。
それでも、俺は彼の手を取る。
何もわからぬまま操られているハリボテの救世主も哀れだが、彼には俺しかいないのだ。俺だけが彼を救ってやれる。

「救世主君には他に協力してくれる人がたくさんいるだろ?」

そもそも、誰かの操り人形が不満なら逃げ出せばいいのだ。俺のように。
そうしない、権力を振りかざし彼に不遇を敷いていた時点でろくに考えもしないボンクラなんだろう。そんな人物の求めに応じて研究などしなくてよかった。

……思い出した。オズだ。オズの魔法使い。
願いをかなえてくれる魔法使いの正体は詐欺師で、仲間が欲しがっていた勇気だの脳だのはごまかされ、主人公は家に帰れない。まがい物でごまかしハリボテで力のあるふりをする、まさしく救世主たちの姿そのものだ。

「だから」

ああ、なんて愚かで哀れ。真実を見据えられないキミ達は理想郷であるエメラルドの都でいつまでも暮らすといい。その泥船が沈むまで。俺たちはつきあいきれないから先に行くよ。

「だから俺は、キミと一緒に」

そうだ、今なら。
彼に会えたら今日こそ渡そうと決めていた銀の靴。
この流れで渡すのは洒落てるんじゃないだろうか。踵を鳴らして俺と家に帰ろう、なんてどうだろう。いや、俺の元に踵を鳴らして帰ってきてくれ、もいい。
俺がキミの生きる縁になろう。二人一緒なら何でもできる、どこにでも行ける。
ハリボテの救世主なんかじゃなく、俺のことを話しながらうれしそうに笑ってくれ。もっと。ずっと。

 

◆◆◆

 

喜んでくれると思っていた。笑ってくれると信じていた。

「そっか~。じゃあ俺のお仕事も終了ってことで」

ぐっと伸びをした彼は、差し出した靴に見向きもせず俺に背を向けた。
初めて見た時と同じ紫色が翻る。あの日は俺の目の前に降りてきた蝶々が飛び立ってしまう。どうして。

「あ、一応忠告なんだけど、今後なんの仕事するにしても思い込みが激しすぎるのはズイマーだと思うよ」

くるりと振り返る顔の横で、赤い房が揺れる。下品な赤で彼には似合わないと思っていたのに、にんまり笑う彼にはあつらえたかのようにピッタリで。緑色のサングラスも相まってひどくうさんくさい。
誰だ。
誰だ、こいつ。

「信仰しろとは言わないけど、メガネが歪みすぎてるのもさぁ」

すっぱいブドウ、だよねぇ。ケラケラ大口を開いて笑うこの男は誰だ。
俺は知らない。
こんな男は知らない。

「……誰だ、おまえ」
「あれ? 自己紹介したよね俺。そういうのも脳内で全部自己処理しちゃう感じ?」

細められた目がひどく陰湿でうさんくさい。まるで俺を嘲るよう。嘘だ。彼は。違う。返せ。

「俺の幻は……っ」
「マボロシ~♪」

ぱ、と振りまかれる花。花。花。
ちんけな花と白い髪の傍、赤い房が妙に目立つ。似合ってないとずっと思っていた。優しい彼にそぐわないきつい色合い。

まばたきした瞬間、世界が緑色に変わった。
目の前には誰もいない。地面には緑がかった花と、緑の靴。いない。どこにも。
鼻のつけ根にわずかに感じる重み。耳にかかるツル。彼のいない緑色の世界。
名を呼ぼうとして、つい声を堪えた。

今言葉にすれば、優しい俺の彼の名まで去ったあの男のものになりそうで。俺の知っている、俺の「彼」の名ではなくなってしまいそうで。

それほど強烈な印象だった。竜巻のような。俺はドロシーでもお供の犬でもないから、竜巻にはさらわれない。
彼は俺を連れて行かない。
仕事は終了した、と言ったのだ。見知らぬ男は。

 

 

 

数日後、街頭モニターで偶然救世主を見た。隣に立つ外交官とやらも。
どちらも緑色なうえ画質も良くない。だからわからない。救世主の目の色も、外交官の髪も、二人がお互いに向ける表情も。
俺には何も見えないし、わからない。

ここはエメラルドの都。
誰かがスクリーンを倒してしまうまではここが理想郷のまま。