きつねとたぬき

「狸寝入りって本人が思うよりバレてるわよね」

南が口にした途端、ドクンと心臓が跳ねた音がして羽京は吹き出すのを必死でこらえた。

「メンタリストそのへんどうなの、やっぱり見てわかるわけ?」
「え~、そりゃ観察力はそこそこあるかもしれないけどどうかなぁ」
「不自然な寝方とかあるでしょ。いつも丸まって寝てるのに大の字とか」
「それはメンタリスト関係なくバレバレでしょ!」

ひゃははと笑う声に、ゲンの肩に寄りかかって眠っている千空の腕がぴくりと動いた。
あまりのわかりやすさに羽京はつい心の内で応援してしまう。がんばれ、酔っぱらってるゲンは気づかないにしても正面の南はにんまり笑ってるぞ。
それにしても南も人が悪い。からかうにしても、もう少し時間をおいてやればいいのに。なんせ千空は、ついさっき、ようやく酔いに任せたふりをしてゲンの肩に寄りかかれたのだ。
あまり酒を飲まないゲンが酔い、あちこちから誘いがかかる千空がその隣を陣取れる機会はそう多くない。
その数少ないチャンスを逃さず、寝たふりをしてでも好きな子に触れたいという純情少年を羽京は応援しているのだ。だってあまりにかわいすぎる。今時、いや三千七百年前の小学生でももっとうまくやるだろうに。

「……でも、そうだなぁ。狸寝入りでもなんでも、俺の傍で寝てくれるなら」

淡く笑ったゲンは、肩にもたれかかっていた千空の頭を胸元に抱え込むように移動させた。
すべて受け入れるかのようにゆっくりと。人類の英知を詰め込んだ頭にそっと頬を寄せ、投げ出された無防備な手をやわく握りしめる。
幼い顔をして眠る千空を腕の中に包み込み、ただただ慈しむよう微笑んで小さく呟くその言葉は。

「俺のこと信頼してくれてるってことでしょ。ゴイスーうれしい」

誰にも伝える気のない、ささやかな独り言。祈りのような。
受け入れ、拒まず、なにも求めず。それは不器用に恋する純情科学少年に向けるような声ではなく、彼がなるつもりもないような、科学の世界には居ないと告げた存在への捧げ物のようで。
ひどくまっすぐで純粋な、揺らがない音。信頼と愛と熱、それだけの。

「俺はうれしいよ。ほんの少しでも気を抜ける存在になれたら、それだけで」

当たり前のことを告げている声音だった。常通りの心音だった。
ゲンは本心から、ただ千空が彼の傍で安らかであれと願っている。彼の好意は幼い行動そのままの淡いものだと、そう信じて。
パチンと炎のはじける音に背を押されるように、ゲンの服に引っかかっていた千空の手に力がこもる。
千空は寝ているから聞いてない、動けない、訂正も否定もふざけるなと怒ることも、なにひとつ。抱きしめたりもしない。できない。だからか、ただ服を。逃さぬようにか、湧き出る感情をこぼさぬようにか、それとも他に。

恋心の存在さえ認められていない。
ぎゅうと、千空の右手にだけ力がこもる。

「バッカじゃないの。信頼とかそういうのじゃないでしょ」
「そう?」
「そうよ! 狸寝入りなんてもっとこう、バレバレで間抜けで情けない話なの!!」

好きな子に触れたいけど勇気がないから、なんてそういうかわいくも愚かしい話で。
何もかもを受け入れ赦すような表情をしてする話じゃない。

「そうだね、そうかも。……でも俺はうれしいな」

千空ちゃんが俺の傍で寝てくれるのは。

 

 

 

ラボで寝かせてくるね、と千空を支えよろよろ歩く二人の背を見守りながら南はため息をついた。

「ムカつくったらないわ。やることが姑息なのよ」
「千空? 初恋なんだろうから大目に見てあげなよ」
「は? ゲンよ。あと初めてだろうとなんだろうと恋は戦争よ、大目に見る義理はないわね」

違う相手の話をしていたらしい。
千空の恋心をばらしてしまって申し訳ないなと反省していた羽京に、そっちもバレバレだから気にすることないわとフォローを入れ南はふんと鼻を鳴らした。

「話が合って、自分の事心配してくれて、なんだかんだお世話もしてくれて、にこにこ笑って受け入れてくれる子が傍に居たらどう?」
「どうって、マンガの世界かな。都合よすぎるし」
「しかも年齢も近いし結構かわいい。呆れられる事が多かった自分の趣味も、いいねって協力してくれるの」
「え、まだ設定付け加えるの? そろそろマンガでもないでしょ」
「おまけに好きだって言われてるわ」
「もうつきあっちゃいなよ。よっぽど嫌じゃない限りその子でいいよ」

今時マンガでもないだろううますぎる話に呆れれば、真顔で南も頷いている。

「そんな子が、つきあわなくていい支えたいだけとか言い出すわけ。好きになってほしいわけじゃない、みたいな。わけわかんないわよね! 信頼とかそういう話はしてないのよ!」

それにしても妙に既視感があるな、と首を傾げようとして南の言いたい事に思い当たる。

「あー……うん。つまりそういうこと?」

千空をただただ支えるだけ、彼へ自らすべてを捧げているかのように羽京の目に見えたゲンは作られたもの。実際はすべてゲンの手のひらの上ということだろうか。自分たちは千空を落とすための計略に見事巻き込まれた、と。

「そういうことにいっくらでもできるくせに、あの顔見た!? なにあれ、コウモリ男はどうしたのよバカ! 悪女ムーブでもなんでもしてさっさと捕まえりゃいいのに」

そういうこと、ではなかった。そういうことにしろ、という怒りだ。

「……心配するならもう少しわかりやすくしたらいいと思うよ」
「は!? できるのにしないのが腹立つって話だけど!!」

そう。ゲンならいくらでもできるのに。メンタリストでなくとも、ああもわかりやすく初恋をしている少年の心を我が物にするなんて、赤子の手をひねるようだろう。

「千空も千空よ。バグでもなんでも起こってるんだからさっさと解決に持ち込めばいいのにうじうじと。酔ったふりしなきゃ手のひとつも握れないってなんなの、高校生!?」
「高校生だね、年齢的には」
「……じゃあ仕方ないわね」
「ゲンもなんだかんだ言ってまだ二十歳そこそこだし、見守ってあげようよ。切欠さえあればすぐ進展するって」

なんせちょっと狸寝入りを指摘されただけでとんでもない音をたてたのだ。ゲンの心臓は。
寝たふりをする千空に肩を貸すの、楽しみにしていたんだろうなと丸わかりのあまりに素直な反応。すぐさま常の心音に抑えたのはさすがだけれど、たまに見せてくれるこんな隙が羽京にはとてもかわいい。ゲンにも年齢相応な部分があるんだとうれしくなる。

「知ってることあるなら吐いちゃいなさい。酔った勢いは無罪よ」
「え~、そんなに目新しい情報は持ってないけど。……ゲンに近づくと千空の心音、急に早くなるんだよね」
「最高の酒の肴持ってるじゃない! ……ってそういう情報持ってしれっとしてるの、結構なタヌキよね」
「人聞き悪いなぁ、ちょっと聞こえちゃうだけだよ。じゃあキツネは誰にする?」
「ゲンでいいわよ。さっき狸寝入りしてたのとセットで」
「……赤いキツネと緑のタヌキ……ぶふっ」
「一定の年齢になるとダジャレ好きになるの、理解できないんだけど」

オッサン、とズバリ言わない南の優しさに慌てて笑いを飲み込む。おもしろいと思ったんだけどな。そういえばゲンにも、羽京ちゃん顔の割にオッサンくさいと言われたことがある。そんなことを言うくせに己の立ち位置は大人の側に置いて、ほんの三つ四つ下の子を守るべきものにして。
それがもどかしいと憤る方の気持ちもわかるから、羽京は全面的に手を出さないことに決めている。たぶん南も。ゲンはどうだろう。たぶん、わかっていない。自分に近すぎるから見えないのだ。
千空からの好意を見誤っているだろうゲンにほんの少し思いをはせ、羽京はまあいいかと南が差し出すグラスを手に取った。
恋する少年にとって、自分の思いをないものとされるほど腹立たしいことはないだろう。あくまでゲンが知らぬふり、わからぬふりを続けるならどうなるか。ゲンの心音はごくたまに正直になるが、千空の心音は常に素直なので羽京としては予想はつく。
今日はもう絶対にラボの方へは行かないと決め、羽京は数度目の乾杯を南と交わした。