ギブギブギブアンドテイク!

松野カラ松は悩んでいた。
おまえに悩むような脳みそあるの、なんて同居人兼恩人の一松弁護士には笑われそうであるが、もちろん悩みのひとつやふたつある。毎日、今日はこれからなにをしようかなとか、一松弁護士が帰るまで起きていられるかなとか。それはおまえの意思でどうとでもなるだろ、というツッコミをしてくれる貴重な存在はこの二人きりの部屋にはいない。そしてカラ松は睡魔には素直に従うタイプだ。
ちなみに小さなことから大きなことまで、それなりに悩みいっぱいのカラ松の脳内において現在最もこちらを困らせているのは目の前に転がっているこれだ。

「…………ギブ……これは戒めを……なに、あとどんだけ滝に行きゃいいわけ………」

帰宅し一言二言かわしたとたんにぶっ倒れ、泣きながらぶつぶつ呟いている同居人をどうすればいいのだろう。
今度こそビンゴだろうと考えていたカラ松は、とりあえず一松弁護士の頭を撫でてみた。追い打ちかけんじゃねえよどんだけおれに戒めさせるつもりだふざけんなとりあえず写真だ。鼻声だから聞きとりにくいが、どうやら元気そうだ。よかった。打ちどころが悪くないといいなぁ。もし入院なんてことになったらカラ松は会いに行けない。なんせこの部屋から出ることを禁じられているので。

 

◆◆◆

 

カラ松と一松弁護士の出会いはありきたりのものであったが、現在の状況はもしかしたらそこまで一般的ではないかもしれない。最近ようやくそう思い出したカラ松に、誰も遅いよとつっこんでくれないので脳内ではあくまでもしかしたら、だ。
遅い朝食兼昼食を食べながら、机に置いたままのマグカップを見て思案する。持ち主はとっくに出社済みだ。

とりあえず、弁護士とその顧客は同居するだろうか。

まずそこから? とカラ松の脳内は驚いたりしない。だって世界は不思議に満ちているし、可能性は無限だ。絶対なんてことは、まあ、ない。だからよっぽどまずい理由がないならしてもいいんじゃないかな。うん、別にいいだろう。顧客の時点では身内の弁護はしない的なあれこれで同居はまずいだろうが、裁判が終わった後なら問題ないのでは。最近はシェアハウスなんてものもあるし。そうだ下宿! 貧乏な学生が身を寄せ合って暮らすのは一般的だ。まあカラ松も一松弁護士も学生ではないけれど。

考えているうちに、だんだん現状もさほどおかしくない気がしてきた。
無実の罪で捕まったカラ松を弁護してくれた。うん、弁護士として職務を全うしている。弁護費用が払えないカラ松に職を斡旋してくれた。なんて面倒見がいいんだ、マーベラス! カラ松が逃げず費用を払うよう見張る、という名目で家に住まわせてまでくれている。すばらしく優しい、ありがとう一松弁護士!!

特に逃げる気はなかったが、きりきり働けとプレッシャーをかけられなければカラ松の勤労意欲はすぐ減ってしまうだろう。そこまであの短時間で見透かされていたなんて照れくさいが、こちらのことを親身に考えてくれたのは正直とてもうれしい。一松弁護士は口は悪いが優しい。なんせ、帰るの面倒でしょおれしょっちゅう呼びだすよ時間が不規則な仕事だからねつまりだからその手間っていうか時間がもったいないからそれにいつおまえが金持ってこなくなるか見張ってなきゃだし、とカラ松に同居を申し込んでくれたのだ。おかげで、稼ぎだしたんだからと実家にいくらか給料を差し出すこともなく、すべてを弁護費の返済に充てることができる。言い訳が犯罪者めいているのはきっと職業病だろう。犯罪者の弁護ばかりしているから出てくる言葉が危ないだけで、性根はとても誠実で優しい人なのだ。

つまりカラ松は、とても感謝している。一松弁護士との関係が一般的であろうとなかろうと、そこは頓着すべき部分ではない。大切なのは、この感謝の念を彼に伝えたいということ。そしてこれからもこの部屋に住み続けたいということだ。

 

 

 

雇われた当初、一松弁護士はカラ松の仕事を事務員だと言った。
だが彼は弁護士事務所に雇われていて、そちらには当然他に事務員がいる。事務所の人事は所長の仕事で、雇われている身の一松弁護士が口出すところではない。つまりカラ松の勤務先は一松弁護士の自宅であったが、そもそも自宅で事務員ってなんだ。持ち帰って仕事をすることもあろうが、そこでカラ松がすることってなんだ。

首をひねりながらお茶を淹れてみたりしたところ、拒まれなかったので間違いではなかったらしい。そのノリで肩を揉んだりファイルにいかした柄をほどこしたりと仕事していれば、もうあんた家政婦だねと言われた。
家政婦。確かに事務員といえるほど事務作業はしていない。
では、と掃除のひとつもしておこうかと思い立っても、するところが見当たらない。いや、カラ松とてこの年までなにひとつせずのんべんだらりと生きてきた訳ではない。日常的な家事は母親に甘えていたが、大掃除の際はきちんと戦力として車や自転車を磨いたり高いところの窓を拭いたりしたし、学校に通っていた頃は掃除の時間もあった。ただ、そういう気合いを入れた掃除をするには一松弁護士の自宅はきれいすぎ、いったいどこから手をつけていいのか慣れぬカラ松にはわからなかったのだ。

せめて、と自分の寝ている布団をたたんで窓を開く。一松弁護士の自宅は高層階のため、ベランダに洗濯物を干すことを禁じられているから乾燥器が大活躍だ。スーツとワイシャツはクリーニングに出すし下着は乾燥機から取り出してそのまま身につけるというずぼらを発揮しているので、たたんでクローゼットにしまうこともできない。家政婦、というには働きが足りないのではないだろうか。これでは首になってしまう。

実はこれまでカラ松は、仕事が続いたことがない。
働く気はあるのだ。もちろん働きたくないのだが、それでもずっとニートでいられるとは思っていない。両親だって今は甘やかしてくれているが、そのうち働いてほしいと思っているだろう。それなりに根がまじめなカラ松は、いちおう就職活動もし、いくつかの職場を経験した。ただ、どうしてか、圧倒的に向いていない。どうにもなぜか、うまくいかない。三つ目の職だったろうか、とても親身になってくれる先輩に「心に余裕があったらキミのこともおもしろいって思ってあげられるんだけどさぁ」と肩を叩かれた。そして、今は余裕がないのだ、とも。

そういうことなのだろう、納得いかないけれど。
けれどそのカラ松が、ここは続いている。一松弁護士に雇われ、事務員から家政婦に華麗に転身を遂げながらもこれまでの職の最長記録を叩きだしているのだ。
首になりたくない。なるべく続けたい。そう思うのは当然だろう。

おまけにこの仕事は、ものすごく楽だ。
一松弁護士は弁護士事務所に勤務している。つまり、早朝出社し夜に帰宅する。その間カラ松は自由時間であり、家から出なければなにをしてもかまわないと言われている。テレビを見てもいいしゲームをしてもいい。エアコンは好きな温度に設定していいし昼寝だって自由だ。腹が減ったら冷蔵庫にあるものをなんでも食べていいのだ。
セラヴィ! ここは天国か!?
どんな世間知らずだってわかる。ここはとんでもなく良い職場だ。これ以上にラクな仕事などないだろう。

だからこそカラ松はここを辞めたくない。しかしカラ松の働きが十分なものか、と問われれば首を振るしかないこともまた事実だ。事務員なら事務員、家政婦なら家政婦としてそれなりには働かないと、一方的に解雇されても文句が言えない。しかし掃除も洗濯もろくにせず、そのくせ食糧は消費するでは絶対に辞めさせられるであろうこともカラ松にはわかっていた。
家政婦の仕事とはなんだ。一応食べた後のゴミは捨てているしトイレットペーパーがきれたら補充している。自分の布団はたまにたたまず置いているが、まあ許してほしい。昼寝だって布団でしたいだろう。他に、ええと、なんだ。

炊飯器にごはんが残っていたのでおにぎりにしてラップで包んだものをそっと渡してみたところ、カッと血走った目を見開いた一松弁護士は「かみさんかよ」と呟いてそのまま玄関から出ていった。いらなかったのかと思いきや、三分後にどたどたと賑やかに戻ってきておにぎりを鞄につっこみ、覚えておけとカラ松を威嚇し出ていった。玄関ドアに足をぶつけていたのはおもしろかったので忘れないが、それ以外になにを覚えておけばいいのだろう。その日帰宅した一松弁護士の手には真新しいギターがあり、寝ていたカラ松は顔面を強打された。お土産はうれしいが投げたら楽器が痛むからもったいないんだけどなぁ。

 

 

 

ここらで一度カラ松は、んん? と違和感に立ち止まったのだ。一応。
だって普通、この状況はない。おかしい。弁護した相手が費用が払えないから職を紹介する、ここまではいい。だけどそれが、三食昼寝付き冷暖房完備住み込み事務員だの家政婦だの、字面がおかしい。この募集要項では好待遇すぎて怪しまれてしまう。絶対にいけないお仕事だ。ましてやボランティア精神が溢れすぎて身近な人間を助けなければ落ち着かない石油王ならまだしも、一松弁護士は一介の雇われ弁護士。支払えない費用を待ってくれる、少し割り引いてくれるあたりならできないこともないが、成人男性の生活をきれいに丸抱えするのはどう考えても負担だろう。それなのに彼は、カラ松の払うべき費用を立て替え、なおかつ雇うという形でこちらに給料まで支払ってくれているのだ。計算がややこしいから払ってることにする、あんたの借金の返済に充てるからと言われカラ松の手に現金は一切きてないけれど、別に生活に不自由はないから構わない。

そして一松弁護士の口から出た「かみさん」の言葉。
はっは~んわかった、なるほどな! 謎はすべて解けたしじっちゃんの名にかけるしまるっとお見通しなので証明完了だ。つまりそう、一松弁護士の求めていたのは事務員でも家政婦でもない。この松野カラ松の神のごとき溢れんばかりの才能だ。

神さんか、と口にした日に買ってきたギターが証明している。彼はカラ松の音楽の才能に魅了された哀れな子羊なのだ。生活の面倒をみるのも家に置くのもパトロンのつもりなのだろう。芸術的才能が日々の暮らしで摩耗せぬよう、カラ松が歌って暮らせるようこのような場を整えてくれたのだ。
なんて健気さだ。カラ松は全力でこの好意に応えねばならない。

勢い込んで開催した『カラ松☆グレイトライブコンサート ~オレとおまえと少しのネコちゃん~』は開始五分でフライパンを投げられ終了した。いったいなぜ。まだあと二十分も寝れるだろうがふざけんな、と目を血走らせる一松弁護士を少しでも励ましたかったんだが残念だ。それ以降、ギターに手を伸ばす度ぎろりと睨まれるため二回目のコンサートは開催できていない。

ここでもう一度、カラ松はんんん? と首をひねった。
一松弁護士は音楽の神様のパトロンになりたいわけでもないらしい。おかしいな、絶対当たりだと思ったのに。仕方ないのでもう一つの可能性を考えてみる。

……どうかと思っていたが、やはり一松弁護士の行動は、求愛なのだろうか。
カラ松はダンディでクールな男だから、気持ちはわからないでもない。こんなにも魅力溢れるいい男が身近にいれば、ああん大好き生活の面倒みさせてあなたはなにもしなくていいの私が稼ぐから! となるのもいたしかたないのだろう。生まれてこの方そういう状況に陥ったことはないが、やっと時代がカラ松に追いついた、ということか……ふっ。
なにかと手土産を買ってきてくれるのも、とくになにもせず一日家でのんびりしていても怒らないのも、すべてはカラ松への愛ゆえ。なんたる愛情。この海のような広大な愛に報いねば男ではない。もちろん松野カラ松は堂々とこの愛に応えるつもりだ。

カラ松のことを愛しているならば絶対に喜ぶだろうと、バスローブにぶどうジュース入りワイングラスを片手に出迎えればどうしてかひどく怒鳴られた。なぜだ。よくわからないながらももう二度とこんなことをしないと約束させられ、カラ松は首をひねり続ける。
おかしい。求愛されているわけじゃなかったのか。

 

◆◆◆

 

事務員改め家政婦改め神様改め謎の居候のカラ松は、ワイドショーを見ながらため息をついた。朝食兼昼食はとっくに食べ終わり、今は昨日のお土産のラスクが口の中に入っている。
この生活に飽きたわけではない。最高の日々を続けていくため、次にどうしたらいいかがさっぱりわからないからだ。
一応雇われている身として、一松弁護士の希望通りにすればいいのだろうと思う。けれど、どうやら事務員でも家政婦でも音楽の神でも愛する人でもなかったカラ松は、なにをどうしたらいいのだろう。

「ギブアンドテイク、って言ってるもんなぁ。いつも」

一松弁護士の口癖を思いだす。与えられれば返す。タダより高いモノはない、とも言うし人間関係の基本だろう。一方的に与え続けたりする関係は、一時ならいいがきっと長く続かない。

現にカラ松が金がないと泣きついた時も、世の中ギブアンドテイクなんだよと睨みつけられた。金がないなら身体で払ってもらおうか、なんてまるで取り立て屋のようなことを言っていたなと思いだしておかしくなる。職のあてがないなら世話してやる、が一松弁護士の口を通るととたん人聞きの悪い台詞になるのだ。これは絶対職業病だ。犯罪者の弁護ばかりしているから、怪しげな言い方に慣れてついおかしな表現になるんだろう。カラ松は理解しているがよく知らない人はきっと驚くから気をつけた方がいい。

しかしギブアンドテイク。
住居も職も、いや生活全般を一松弁護士に与えられているカラ松は、いったいなにをどう返せばいいのか。

事務員でも家政婦でも神様でも求愛対象でもないということは、つまりなんだ。一松弁護士の家に住み、たまに家事をし顔をあわせれば話し家主のことをさほど気にせず寝る存在はなんなんだ。……そういう妖怪がいた気がする。ほら、家に繁栄をもたらすとかなんとか。座敷わらしか。いやあれは子供の姿であるし、そもそもカラ松は人間だ。別に住んでいる家に福とか与えられない。そんなミラクルなパワーがあれば一番に自分に使っている。
じゃあなにをすればいいのだろう。これがここ最近のカラ松の悩みである。
わからない。一松弁護士の求めていること。彼がカラ松を雇ってやりたいこと。

「一人で立派に働いて、弁護士で、ちゃんとしてて、スーツも高そうだし車も持ってるし」

指折り数えてみても恵まれたエリートだということしかわからない。そもそもカラ松ができることは一人でなんでも全部できるだろう。だからこそ才能系かと思ったのだが外れたのだ。
これまでのカラ松ならばいいかげん疲れて諦めるのだが、今回はもう少し悩んでみる。なぜなら一松弁護士が最近なにやら物言いたげだからだ。

おまえさ、と声をかけてはもにょもにょと口ごもりなんでもないと去って行く。カラ松になにか要望がある時は一切の遠慮なく「誰に食わせてもらってんのかなこのポンコツは」とやらないという選択肢をつぶしていく一松弁護士が、言い淀んでいる。この一点だけで絶対に悪い話に違いない。だって口ごもるうえにごまかすのだ、あの一松弁護士が。そんなのもう絶対、クビだろう。それしかない。自分から雇うと言った手前辞めろとは言いづらく、けれど思っていた働きと違ったから使い勝手が悪くて。

嫌だ。
カラ松はこの最高の職場を辞めたくない。ずっとここにいたいのだ。

毎日だらだら過ごして一松弁護士とおしゃべりしてたまにおにぎりを用意してどたんばたんする姿を見たい。だけどいいかげん悩み飽きたし本当にさっぱりなにもかもがわからない。
考え疲れたカラ松の耳に飛び込んできたのは、つけっぱなしにしていたテレビから流れるワイドショー。アナウンサーの明るい声とゲストの歓声、ストレスの緩和にもいいというナレーション。

「これだ……っ!」

画面に映し出されたかわいらしいテディベアを見つめながら、カラ松は勝利を確信した。
任せてくれ一松弁護士。オレは求められている役割を全力で果たすぜ……っ!!!

 

 

 

日本では女の子のものと思われているぬいぐるみだが、外国ではそうではない。幼少期からぬいぐるみを友として扱うことで心の整理をしたりストレスの緩和にもなるため、大人になっても大切に持っている人も多い。
などという紹介と共にかわいらしいテディベアが映し出されていたテレビ画面は、カラ松に天啓をもたらした。

一松弁護士はエリートだ。おそらく幼少期から勉学に励み、同級生達がデートだなんだと浮かれていた時もひたすら机に向かっていたのだろう。あの若さで弁護士としてやっているのだ。きっととても努力したに違いない。
そんな彼がふと疲れに気づいてしまった時、癒しになるもの。ふわふわでやわらかくかわいいぬいぐるみがあれば良かったのだ、今日テレビで見た人々のように。しかし残念ながら、一松弁護士はぬいぐるみを持っていなかった。それが必要だということさえわかっていなかった。それでも無意識に、なにかしら傍に置かねばと本能が叫んだからカラ松を雇ったのだ。

「だからな一松弁護士」

カラ松は真剣だった。
この居心地のいい職場を辞めさせられたくないという気持ちはもちろんあるが、恩人の役に立ちたい、一松弁護士に感謝を伝えたいのだって本当だ。
だってずっと楽しかったのだ。カラ松はずっと、雇われこの部屋で過ごす日々すべてが楽しかった。一松弁護士と一緒に過ごすのが。本当に、楽しいから。

「オレをぬいぐるみだと思って、さあ!」

耳のついたカチューシャと紫色の水着のような衣装は、以前一松弁護士が買ってきたハロウィンパーティー衣装のひとつだ。吸血鬼や狼男と一緒に置いてあったけれど、どう見ても女性用だろうとスルーしてクローゼットにしまいこんでいたのを出してきた。なぜならこの衣装が一番もふもふしていたからだ。あと耳がついているのでぬいぐるみっぽいだろう。
セクシーニャンコ、と袋に書いてあったが着てみればさほど違和感もない。チューブトップとブルマなので、これなら夏場のカラ松の方が肌を出している。手袋と靴下ももこもこモフモフで、なかなかいい感じにぬいぐるみだ。これならば一松弁護士も心おきなく愛でられるだろう。
そう確信し出迎えたカラ松の目の前で、帰宅した一松弁護士がぶっ倒れたのがつい先程。

「……さ、さあってなに……おまえそれ、なに、なんのつもりで」

ようやく起き上った一松弁護士の目は血走っていてなぜかぶるぶる震えている。何事が起こったんだろう。よく口走っているイマシメとやらが怖いんだろうか。

「んん? だから飛び込んできてくれ」

この胸に、と両手を広げればまたもや一松弁護士は倒れた。せっかく起き上ったのにどうしたんだ。玄関はタイルだから冷たいんじゃないだろうか。それとも新しい趣味かな。
慌てて近寄るとなんだかぐずぐず鼻をすすっている。まだ涙は止まっていなかったらしい。

「刺激……いきなり刺激が強すぎ……なんで突然そんな」

成人男性の部屋に抱きしめられるような大きいサイズのぬいぐるみは恥ずかしいのだろう。では常はカラ松、癒されたい時だけぬいぐるみとして抱きしめればいいと思ったのだが刺激。なにがどう、と胸元を見てカラ松は納得した。確かにクローゼットにしまいっぱなしで出してから日にあててもいない。聞いた記憶はないが、もしかしたら一松弁護士はアレルギー持ちなのかもしれない。花粉以外にも、埃なんかで起こすと聞いたことがある。この家が清潔に保たれているのも、きっとそのためだ。うん、だって今も鼻水をすすり涙目だ。花粉症の症状に似ている。

すべて理解したカラ松は、がばりとチューブトップ部分を脱ぎ上半身をあらわにした。カモンマイ……ええと、胸ってなんて言うんだったか。ちょっと思いだせないけれどまあいい。

「一松弁護士、これなら大丈夫だ! ちくちくもしないしハウスダストとかの心配もないぞ!」
「は? ……は?? え?」
「さあ、この胸でめいっぱい癒されてくれ!」

ありったけの感謝をこめてハグすれば、幼い子供のように一松弁護士はさめざめと涙を流した。
やっぱり求められていたのは癒しだったのだ。外で気を張って働いてきた一松弁護士を無邪気な子供に戻してやることが、カラ松の仕事なのだろう。

「よしよし、いい子だなぁ一松弁護士。キミはがんばっている、すごい、えらい。オレはいつだって一松弁護士の味方だぜ」
「ギ、ギブ……」

こんな時までギブアンドテイクの精神だなんて、本当に一松弁護士はすごい。がんばっているカラ松へのお返しを考えてくれるのか。これはカラ松の仕事でありこれまで与えられた物へのテイクであるわけだが、でもまあくれるものなら別にもらわないとは言っていないし。そういえば昼間見たテレビで美味しそうな駅弁特集が。
新しい職業への勤労意欲を燃やしながらも明日のお土産に思いをはせるカラ松の胸元で、ギブアップを告げる一松弁護士の声は誰にも拾われることがなかった。