最後の男はかく語りき

「ゲン」
目の前に拳を差し出せば、一瞬戸惑った顔をした。なんでもかんでも打てば響く男だと思っていたから、意外で未だに覚えている。

 

◆◆◆

 

コクヨウからそろそろ結論を出せと急かされたのは、携帯電話を設置しに行くミッション前だった。戻れぬ可能性もあると理解していたから、クロムとて心残りは潰しておきたい。だから出せるならば早々に出してしまいたかったのだが。
「決めかねているなら、マグマのように『村長の決定に従う』にしておくか?」
「ん~……いや、考える方向性は決まってんだ。あともう一押しが足りねえっていうか」
「悩むのもよいが残るはお前ひとりだぞ、クロム」
別段難しいことでもなかろうと言うコクヨウの意見は、村の総意なのだろう。クロムとて、まさか自分がこうも悩むなど予想もしなかった。
「あ~……ルリの事を心配しているなら、気にせずともよい。今回はあくまでも、村長の嫁としての話だ」
村長と離婚しても、新たな嫁が迎えられても、巫女としてのルリの立ち位置は揺るがない。
そう口にするコクヨウは見慣れぬ顔をしていた。ルリが元気になって以来よくするようになった、おそらくこれは父親の。
やはり千空が村長になってよかった。他の誰がなろうとも、コクヨウはこんな顔ができなかっただろう。ルリもコハクも、村の皆も。飢えず凍えず、信じられないことにこの冬は死者がゼロだ。これだけで千空が村長にふさわしいとわかるのに、それ以上に彼のもたらした物は大きい。だからこそ、彼の決定を皆は支持する。
理解しているのだ、クロムとて。
「……戻るまでに結論だす」

ゲンを村長の嫁として認めるか否か、未だ決めかねているのはクロムただ一人だ。

村では基本、話し合いで何事も決める。村長の地位こそ御前試合の勝者だが、あれは巫女や村を守れるような強い人間を長として迎えるためだ。常から決闘で物事を決めなどしたら、負傷者続出で村が立ち行かない。五体満足で働ける者は多いほどいいのだから。
だからこそコクヨウは、村の一大事に皆の意見を求めた。曰く『村長はゲンを嫁に定めたが、村長の決定に従うか否か』と。
本来、村長は御前試合の勝者が巫女と結婚し成るため、このような話し合いは起こらない。
だが今回、千空はルリと離婚してしまった。村の年寄りによると、村長と巫女が別れることは以前にもあったらしい。しかしそれは、巫女が次代を成す前に村長が亡くなったり、優勝者があまりにも村長に向いていなかった場合だ。
千空は、冬ごもりをこれまでよりずっと快適にしてくれた時点で立派に村長だ。彼が村長であると村人全員が認めている。またルリによると、巫女として継いできた知識は千空に継承したため、今後は百話目を伝えていかなくとも良いらしい。百物語の知識は大切だが、巫女のみが必ず伝えるものではなくなった、と。
では、村長と巫女の双方が納得の上なら離婚したまま、新たな嫁を迎えても問題ないだろう――までは話し合いで決まった。
問題はゲンだ。
いや、ゲンの事を拒絶しているわけではない。共に冬ごもりの支度をしている時点で皆、彼を村の一員と認識し歓迎している。男であることも大きな問題ではない。子を成さぬ夫婦も村には居るし、生まれた子は皆で育てる。血筋を求められるのは巫女の子であり、村長の子ではないのだ。
老人や子どもは我先に受け入れた。見たことのないマジックを見せてくれ、話し相手もこなすゲンは人気者なのだ。
マグマ達も拒否しない。群れのリーダーに従うのが当然だから、村長である千空が決めたことは基本的に受け入れる。よほど自分に不利益がない限りは。
クロムとてゲンは好きだ。繰り出されるマジックは何がどうなっているのかわからなくてワクワクするし、石化前の世界の事を聞くのも面白い。御前試合でクロムがマグマに勝てたのはゲンが妖術を使うふりをしてくれたから、ということもわかっている。すぐ二人だけで悪だくみをしてこちらを安全圏に置こうとするのはどうかと思うが、千空とゲンの仲がいいのだってよかったなと思っている。石化前の話ができる相手がいるのは、お互いにとっていいことだろう。

だけど、千空は村長だ。
そして村長の隣には、嫁として、対として、これまでは巫女が居た。
巫女は代々伝わる百物語で村を守り慈しみ導く。ルリは今後も同じことをするだろう。千空のことを少しでも知れば、彼が村を守るだけで終わるとは考えられない。だからこそこれまで通り、村を守るに違いない。
では、村長の嫁は?
千空は言っていた。
司と戦い、全人類を石化から目覚めさせ、文明を進めるのだと。そのための戦争だと。司帝国対科学王国。石神村、ではない。千空はずっと、出会った頃から、科学王国の住民としてクロムを誘っていた。
千空は石神村の村長だけれど、その前から科学王国のリーダーなのだ。
村が科学王国の傘下に入るのは問題ない。科学のおかげで死者の一人もなく冬が越せた。腹いっぱい食べられた。それだけで村長としての仕事は十分。
だけど千空と共に進むなら。村長と巫女が村を守るように、共に科学王国を守るなら。
そこに求められるものは。

 

◆◆◆

 

「なんて思ってたんだがよ。杞憂ってやつだよな」
「え~、あの時まだ疑われてたわけ俺。まあコウモリ男だから仕方ないけど」
「いや? 村の住民としてなら、冬支度してる頃にゃとっくに受け入れられてたぜ」
でなきゃ天文台なんて協力するわけねえだろと首を振れば、皆人が良すぎじゃない、などと眉を下げる。どの面下げて、と思うがゲンは昔からこうだった。己を悪く見せたがるのは石化前の世界の常なのだろうか。千空も似たようなところがあるから、これがお似合いというやつかもしれない。
村を守るためにゲンがどれほどの働きをしたのか、当時歩き始めたばかりの一番小さいのまで皆知っている。
いきなり現れた、千空と同じ場所から来た人。楽しい事を教えてくれる、優しい人。そうチビ共に思われているのを知ればどんな顔をするのか。きっと必死に否定するのだろう。今更だというのに。

クロムはずっと考えていた。
石神村の村長の嫁なら問題ない。ゲンに不足などあるはずがない。
けれど科学王国のリーダーなら、わからない。何が必要かわからないから、判断できない。

「単純なことだったんだよな」
石像を壊そうとするマグマを止めた姿が全てだった。
「規模がでかくなった。それだけの話だ」
そうだ。あれは石像。小さい頃から見慣れた石、ではなく人間。クロムもマグマも、村の誰もが当時実感できていなかった、人である石。人に成る石。
変わった形をしていたから、しょっちゅう目印にした。ただの石だからよじ登る足場にもしたし、丁度いい大きさの石がない時は砕きもした。そこらにいくらでもある、それ以上でも以下でもない。日常に埋もれる無機物が自分たちと同じ人間だなんて、どんな与太話だ。
千空が復活液を作れば生き返る、同じ人間に戻る。そう言われても実際に戻るところを見たことのないあの頃のクロム達にとって、石像=人間だという自覚は薄かった。だからマグマは石を先に壊す案を出した。知っている、生きている人間の方がずっと大切だから。石神村の住人が傷つくことのないように。
マグマが言い出さなければ、クロムが口にしていたかもしれない。村のために。自分たちのために。これまで石として扱ってきた物が何か、実感などないままに。村の人間として率直な意見を。
あの場でゲンだけが、石像までもを己の守る範疇に入れた。
科学王国の住人だと。千空の語る見たこともない未来にこれから生きる人間だと、当たり前に判断した。己を殺そうとした男を止めるまでして。

千空とゲンだけに見える先。
石神村の村長ではなく、科学王国のリーダーだとずっと名乗っていた彼の隣は。

「俺はてっきり、ケータイ設置がんばろうねのつもりでさぁ」
「そりゃ出発前に村でやったじゃねぇか。それにあの時マグマ、俺らを見てるだけで拳出さなかっただろ。あいつもわかってたんだって」
理解したから拳を出した。
この男が科学王国のリーダーの対だ。共に立ち歩む人間だ。
石神村の村長の嫁ではない。すでに村の住人で、千空の態度じゃとっくに嫁扱いで、なのに本人だけはコウモリ男だとへらへらふわふわうそぶいて。
「いや~、マグマちゃんが拳コツンしなかったのはこんなヤツ認めねえってことでしょ」
「んぁ? ゲンを嫁、いやパートナーって言うんだったか最近は。千空のパートナーって認めたの、村じゃあ俺が最後だぞ」
マグマはケータイ設置前にはとっくに認めていた、と告げれば妙な顔をする。
「意外か? マグマの奴は村長の決定は絶対派だからよ、千空の決めたことなら村に不利益ない限り従うぜ」
「いやいやいや、村長が絶対もバイヤーだけど、千空ちゃん決めてないでしょ! 嫁って、あの頃別にそんな感じじゃなかったよね!?」
「……あの頃、っつーかおめーら昔からずっと変わんねぇだろ。石化前の婚前がどんなもんか知らねえけどよ、千空の態度で皆そうなんだなって思ってたぞ」
ゲン、ゲンとあまりにあからさまなので、なるほどこういうタイプがいいなら巫女様は好みじゃないだろう、と離婚したことをあっさり村中に納得されていた。なんなら船を造る頃にはすでに結婚したのだと思われていたから、宴会のひとつもしないなんてとゲン贔屓の老人たちが愚痴っていたくらいだ。嫁としてのお披露目に腕を振るいたかったらしい。村での祝言は巫女と村長のもの以外、特に何をするというわけでもない。それでも何か、とせっつかれコクヨウがなだめて回っていたのに。
夫婦になりたい二人は自分たちの家を作り共に暮らし、子ができれば村中に見せて歩く。だから一緒の家に住む千空とゲンはとっくに結婚しているものだとばかり。まさかお互いの気持ちすら伝えていなかったなど、さすがにクロムも予想していなかった。
「一緒に暮らしたら夫婦扱いの文化ならわからなくも……って俺たち二人とも男だしさぁ」
今更のことを口にするゲンの頬はゆるみ、声は明るい。それがどうした、と誰より己が思っているくせに。
なんでもかんでも察する男は、どうせ千空の気持ちだって知っていたに違いないのだ。往生際が悪い。
クロムでさえもわかるようなこと、ゲンが気づかないわけがない。
「ゲン」
拳を差し出せば、戸惑いなどかけらもなく同じように拳を差し出される。
「任せて。石神村の村長、しっかりお守りしちゃうよ」
「違ぇよ」
おめーも村の人間なんだからな。言い聞かせるつもりのクロムの言葉はどこか拗ねたように響き、ゲンはくすぐったそうに笑った。
「うん。幸せにするよ。幸せに、なるよ。一緒に」
「おう。それだ」
クロムは全世界の人間の、とは願えない。何か起これば石神村の皆を優先したいと考えてしまう。どうしても。
ただ、すべてを繋いできた巫女たちの末の想いが、初代様の願いが、かなえばいいとは思う。
百物語は千空に繋ぐための物語だった。すでに役割を果たし不要となったそれを守る必要はない。巫女の、石神村のすべきことは終わった。何事にも始まりがあれば終わりもある。それは悲しいことではない。
だから笑う。
最後に石神村の住人になった男がとんでもなく晴れやかに笑ったのが、うれしくて。

なぁ、おまえらがそんな顔したら大丈夫なんだって、俺らが一番知ってるんだ。