赤い糸

雪の中、ぽつんと花が咲いているようだった。

 

 

「千空ちゃん」

大小さまざまな雪だるまに囲まれたゲンに近づけば、ゴイスーでしょと胸を張られる。

「皆で作ったんだよ。なかなかのもんでしょ」
「おい、これ胴体が妙に長いぞ。雪玉どんだけ重ねてんだ」
「そこら辺は途中からどれだけ高く積むか勝負になってたゾーンだね。こっちはかわいいゾーン」

石や枝で飾られた雪だるまを指す指先は薄赤く染まっていた。なんだかんだ毎回律儀に遊びにつきあうため、ゲンの子ども人気は高い。今朝も手を引かれ連れ出されたのは見ていたが、まさかこんな力作を。

「これまであんまりしてこなかったらしくてさ、雪遊び」

スキーにスノボ、雪合戦、雪だるま。雪が降れば当然のように思い浮かべる冬の遊び。
道具の必要なスキーやスノボはわかるが、雪さえあればいい雪合戦も? 疑問を抱いたのがわかったのか、妙に嬉し気にゲンは答えをよこす。千空になにか教えるのがうれしいのか、大人げねえ。ガキか。

「暖房がないから濡れるのがアウトなんだって。風邪でもひきこんだら終わりだし、服も乾かせないし。食料もそんなにないから一日一食でしょ。だからお腹すかないようになるべく動かず、家の中で冬の手仕事して」

そういえばさっきかまくらは例に挙げなかった。
あれは作ったのだろう、風除けや食料の一時保管場所に。遊びではなく仕事として。

「だから初めてって皆ゴイスー興奮してたよ。千空ちゃんのおかげだね」

ストーブも保存食も、戦争のためであって村の事を思って作ったわけではない。

「いいんだよ、何のためでも。今は皆が楽しめてるよって話」
「……風邪ひく前に戻んぞ」

村の子相手にするような気の抜けた表情を向けられ、つく予定だった悪態が脳内から消えた。
別に絶対言わなければいけないことではない、からいい。構わないけれど、自分らしくもない。ガキは己だ。
ゲンを前にするとたまに予定外の行動をする理由は、察してはいるが認めたくはない。見ないふりをしている間に消えてなくなってくれればいいのに。この雪のように、春には。戦争が終わる頃には。
ボスボスと雪を踏みしめる間抜けな音が響く。歩き慣れていないからどうしても、時間も体力もかかってしまう。
こんなに雪が積もっている山道を歩くことなど、三千七百年前はめったになかった。ゲンも同じだろう。それを、行かせようとしている。携帯電話などという大荷物と共に。

 

気をつけろも油断するなも、違う気がした。
ゲンを危険な場所へと向かわせる決断をした自分が言って良いことではない。
それでも何か。何か、無事を願う言葉を。戻れと伝えたくて。

 

「村のやつらが」

結局口にできたのは、考えていたことと違っていた。また。

「テメーはひょろっこいから寒さに弱いだろうって」
「っ、マフラー!?」

持ってきた赤い布をぐるりと首に巻きつけてやれば、すっとんきょうな声が響く。

「ただの布だがちったぁマシだろ。毛糸がありゃよかったんだが」
「十分! ジーマーで暖かいよ、これもうマフラーじゃん!!」

巻かれた布を大切そうにさする指先は赤い。頬も鼻先も耳も、首元と同じ色に染まっている。ひどく冷え切っているだろうに、見た目だけは熱を持つかのように、千空のかじかんだ指先を誘う。
血の気が引いている唇から白い息が吐かれた。生きている。
呼吸をして、血を巡らせて。白い世界に唯一の彩を添えていた男は、血の色をした布でぐるりと巻かれ笑っている。
うまく動かない指先で撫でた頬は、冷たい。

「千空ちゃん」

生きている。今は。
目の前にいる。指先を伸ばせば触れられる距離に。
去年は雪に埋もれていたのだろう、石像のまま。今年は生きて動いている。では次は。来年の冬は。その先は。
無事に帝国から戻り千空と共に過ごしているのか。

「ゴイスー温かいよ、マフラー。ありがと」
「俺じゃねえ」
「そう? 皆にもお礼言っておくね」

作ったのは千空ではない。
千空はただ口を出しただけだ。赤がいい、と。
真っ白い雪の中、はぐれてもすぐに見つけられる色にしろと。マグマやクロムが絶対に見逃さない色に。
任せた仕事のためなら目立たぬ色味がいい。帝国側に見つかれば終わりだ。ゲンがいなければリリアン作戦は詰み、苦労して作った携帯電話もろくに役立たない。それでも。
生きてさえいればどうにでもなる。する。この男が。自分が。
だから雪の中で一人、石像のように凍り付き二度と復活しないなんてことだけは。

「それにしても赤いね」
「ご不満かよ」
「ん? 珍しいなって思っただけだよ。村の皆のは青か黒が多いでしょ」

狩りにしても漁にしても、自然にまぎれる色合いの方が都合がいい。村でしばらく過ごせばわかることだ。そしてゲンがこれから行う任務も同様に。
それなのにこんなにも鮮やかな色を。

「あ゛~……帝国のヤツらに見つかるギリギリまで巻いとけ」
「りょー。……いざとなったらヘンゼルとグレーテルするからさ、千空ちゃん、来てよ」

なぜこんなにも目立つ色を選んだのか察したのだろう。自然は脅威だ。どれほど口が達者でもどうにもならない。できない。
数歩離れたまま立ち止まったゲンは、首からマフラーを外しひらひら振り回した。しょっちゅう振りまく花びらの代わりだろうか。そういえば冬は仕込める物が少ないと愚痴っていた。

「スイカちゃんから聞いてない? 前にイヌホオズキでやったんだけど、大成功! 雪の上ならこっちのが映えるよね。ちょっとずつ赤い糸置いていくからさ」

パンくずよりずっと頼りになるでしょ。

「だから、赤い糸たどって来て。待ってるから」

迷っても。雪に埋もれても。千空の元に戻ってこれなくとも。
必ず生きて待つから、死なないから、迎えに来て。

ボス、ボス、ボス。
三歩。たったそれだけの距離をえっちらおっちら必死に歩き、千空はゲンの手からマフラーを奪った。
振り回すためだけに外されたそれを、もう一度、今度はもっとしっかり巻いてやる。

「千空ちゃんきついきつい。もうちょっとゆったり巻いて」
「うるせえ」

絶対はない。どれだけ約束しても守られないことはある。会いたい人間に必ず再会できる保証なんてない。
ゲンが目の前で気の抜けた顔をしているのは今日が最後かもしれない。
わかっていても千空はゲンを送り出す。それが最も合理的だから、どの命も失わないから、今ある何もかもを諦めなくていいから。

糸じゃ足りない。紐か、もっと太いなにか。マフラーか。
この男を縛ってずっと手元に置いておけば、少しは安心できるのだろうか。
無理だ。考える間もなく結論が出る。縄抜けだマジックだとなんだかんだ、へらへら笑って好きなところに行くのだ。迎えに来てなんて、離れること前提。目印とてゲンが振りまかなくてはたどれない。追いかけることを許可されなくては顔を見る事すら。

「大丈夫」

白い息と共に吐きだされる言葉はすぐ消える。

「マグマちゃんもクロムちゃんも頼りになるし、俺も結構体力ついたから。ちゃっちゃと携帯設置して、すーぐ戻って来るよ」

春には全部終わってるよ。花を振りまく春のような男が告げる。
戦争なんて血なまぐさい事を話題にしているなんて思いもよらない、やわらかな声。雪が融け、木々が芽吹き、実り、そしてまた雪は積もる。毎年。消えない。千空の思いもまた、何度でも降り積もり消えないのだろう。目の前の男がいる限り。

「……つながってるじゃん。大丈夫だよ」

赤いマフラーの端をしっかり握りこみ、ゲンが千空の目の前で揺らす。
たどって来てと、千空に。ああ、冷えで頭の回転が悪い。それともこれは茹だっているのか。

「ずいぶん太い糸だな」
「切れなくていいよね」

 

 

雪の中ひとつ咲く花の蜜はひどく甘かった。